Novel Days
深夜。 ふと思い出し、持ち出し袋へ入れっぱなしにしてあったポケットラジオを取り出した。 スイッチを入れてFMに。 偶然にもどこかの局にチャネルが合っている。 ジャズが流れていた。 セロニアス・モンク。 ならばこのテナーはチャーリー・ラウズだろう。 …
後輩が禿げていく。 まだ三十代前半であるのに、禿げていく。 その生え際の戦況は連戦連敗。 撤退につぐ撤退。 無残なことになっている。 彼の生え際が後退しはじめたのに気づいたのは、たしか去年。 なぜか髪を伸ばしはじめており、 メットを脱ぐたびに台風…
泥沼の底に沈んだような気分がつづいていた。 連日あてがわれている現場が自宅から遠いというのもある。 その現場の雰囲気がよろしくないというのもある。 ギスギスしている。 そこは複数の支社から呼び集めた大人数のスーパーゼネコン現場であり。 しかも何…
おっとろしいほど冷え込んだ渋谷夜勤。 風はもはや痛いくらいだ。 実際には風と云えるほどでもない大気の緩慢な蠕動で。 透明な巨大蚯蚓の寝返りで。 けれど、もうやめてくださいと懇願したいくらいにほっぺたを刺してくる。 手袋のなかの指を噛んでくる。 …
早起きして新宿へ。 なんやかんやと理由をつけては逃げつづけてきた健康診断ではあるのだが、このたびは観念した次第なのである。 肚を決めた。 朝日を浴びつつ人の流れに歩調を合わせ、電車に乗った。 この日は正月九日。 有給の消化も兼ねて十日まで休暇届…
そしてまた 夜がくる。 闇になる。 ずんとひとつ刺しこまれ 圧され のされて ちぎれながら 砕けながら 底へ 底へと 落ちてゆく。 刺さったやいばは なに? 刺したのは だれ? つめたさは 傷口から ひろがって 夜を ぬりつぶす。 痛みは ぬくもり ぬくもりは …
久しぶりの歩行者誘導。 歩道舗装工事にともなう歩行者通路の切り回し。 切り回しとは車道に通路を仮設すること。 その仮設通路へと歩行者をご案内することで、施行箇所を安全に迂回していただくと。 歩道との段差の処理はコンパネ(ベニヤ板)を架けてスロ…
この炎天下、なにゆえ横断しようと早まったのか。アスファルトの道を。蚯蚓よ。— Yamio (@Yamio42529836) July 10, 2023 土手のサイクリングコースで、何匹も干からびていた。 何かを目指したのか。 あるいは何かから遁れようとしたのか。 暑くてたまらず地…
園庭の北東角からは自分ちが見えた。 緑色の針金をひし形に編んだフェンスを掴んで伸びあがれば、サツマイモ畑を割きつつゆるやかなカーブを保って北上する鄙びた田舎道の先に、赤いコンクリート瓦の屋根が見えた。 若い保母さんがそれを指さして云う。「ほ…
真夜中に目覚めると、海鳴りが聞こえた。 海は東にあるのだけれど、寝静まった真夜中にふと風向きが変わるときがあって、北側の阿武隈山脈に反射した海の音がごうごうと空に轟いた。 幼い頃はそれがなんの音なのかわからなかった。 闇に慣れた目で天井の木目…
三十年ほど前だったか、 代々木のはずれにあったレンタルビデオ屋に勤めていた。 VHS時代である。 もろもろあって前職から逃げ出して、日雇いをハシゴした挙句に疲れ果て、手元に小銭しかない状況で駆け込んだ店であった。 その頃の自宅はアパートと呼ぶのも…
ほらそこを、獣がゆく。 夜の路地裏をとぼとぼと、 闇の澱から這い出てきた醜き生き物、闇獣がゆく。 臭うぞ。 闇獣はくさいのだぞ。 そこらへんに捨て置かれた鬱憤やら憎悪やら妬みやらを手当たり次第に貪り食うから、くさいくさいゲップをするぞ。 屁もこ…
ここしばらくは日勤現場についている。 何年ぶりだろう。 日の出前に起きて支度をし、 白い息を吐きながら現場をめざし、 夕暮れまで働いて、 日没後に帰宅する。 思えば、至極当たり前な日々である。 街は、 夜とは違って老人であふれている。 まずこれが新…
他者を憎しみつづけることに努力は要らない。 んが、 他者を慈しみつづけることには、その心がけをたえず更新し続ける執念が要るらしく。 憎しむ技術はわかりやすい。 エスカレートさせればいいだけで。 けれど、後者は抱擁の加減や、調和や、突放しや、もろ…
高校からの友人に年内に飲もうと誘われる。 いまだに彼だけは折々に連絡をくれる。 社会的格差でいえば、知りあうはずのないギャップがあるにもかかわらず、である。 休日。 することもなくぶらりと新宿に。 歌舞伎町。 かつて初台の四畳半、トイレ共同、風…
麻生区百合丘 交差点でのひとり片交現場。 交通量もそれほどでないので誘導自体は比較的楽ちんだった。 んが、 トイレ休憩もないままに午後二時までぶっつづけだったのがちょっちつらかったかな。 途中、 軽自動車のご婦人がおひとり、ススメの合図で通りし…
ジム・ジャームッシュ監督作。 仮にラーメン屋のオヤジを創造主とするならばだ。 その腕によりをかけた一杯のラーメンは、つまるところなんだ。 さながらひとつの惑星と言えはしないだろうか。 ラーメン星には王チャーシューが君臨し、 面の皮もふてぶてしく…
「仕事はありますか」 唐突にそう声をかけられた。 昼下がりの公園。 藤蔓の庇をかりたベンチ。 子どもらがはしゃぐ光景をながめつつ手弁当を平らげたあたしが、さあそろそろしょんべんでもして持ち場にもどろうかと腰を上げかけたときだ。 声にふり向くと、…
少年の日に東京の大空襲を体験したというその職人さんは、四十年前に日本を、そして十年前には韓国を自転車で一周したのだという。 今では補聴器のやっかいになってはいるのだが、 この酷暑のなか大声で冗談を言い、 率先して働く姿を誰も老人とは見ないだろ…
ミドレンジャーが好きだった。 理窟はない。 なにゆえ彼だけが、 他のレンジャーにならってミドリレンジャーと名乗らずミドどまりなのかという謎も含めて、あたしゃまったくもってつまびらかではないのだが。 赤も青も黄も桃もフルネームであるのに、 ミドっ…
ショート・ショート 『月とタネと』 お月さまのスポットライトを浴びて、もの悲しさのなか、ひとり歌っていると、 「おや、迷いましたね」 そう声をかけられた。 物陰に目を凝らすと、声の主はそこで銀色に光っている。 たしかに俺は道を失って途方に暮れて…
なんせ思わず、駆け出すのだ。 子供なんてものは。 風に舞うレジ袋なんぞを、夢中で追いかけたりする。 が、断じてレジ袋をつかまえたいのではない。 そうしたところで、どうしたいのだか自分にもわかっていないはずで。 その証拠に袋をとらえると、ただちに…
明け方、屋根を打つ雨の音で目覚める。 「丸く死ぬ」 夢の置き土産なのか、そんな言葉があたまに残っていた。 その昔、好きな音を問われて「トタンの屋根におちる雨」と答えたのは細野晴臣。 俺はといえば、 体育館のまんなかでぽつん、大の字になって聞く雨…
親しき者らと和気あいあい、 たらふく飲み食いした夕食のあとのこと。 とめどのない冗談とワインに飽きた彼女はふと、コップ一杯の水を求めてキッチンへと起った。 すかさずその背中に、テーブルから声がかかる。 「水?」 「うん」 「ごめーん、切らしてた…
兄とは十歳。姉とは八歳はなれて生まれ落ちた。 そんな年齢差であるから兄弟喧嘩すら成立せず、殴りかかろうが蹴ろうが、笑ってあやされるばかりで、ストレスは日々幼い胸のなかに充満するばかり。 なんせ彼らが思春期を謳歌しているころに、こちらはようや…