壁の言の葉

unlucky hero your key

葱の肩身。

 

 三十年ほど前だったか、
 代々木のはずれにあったレンタルビデオ屋に勤めていた。
 VHS時代である。
 もろもろあって前職から逃げ出して、日雇いをハシゴした挙句に疲れ果て、手元に小銭しかない状況で駆け込んだ店であった。


 その頃の自宅はアパートと呼ぶのもおこがましいようなボロッちい寮で。
 四畳半、トイレ各階共同、エアコン・風呂なしという。
 電話も各部屋に引くことは出来ず、三階建ての二階の共同廊下にピンク電話がひとつあった。


 外からかけてきた電話には、それに気づいた住人が応対し当該住人をインターホンで呼び出すという、かつてはお馴染みのスタイル。
 一緒に上京したバンド仲間はみんなワンルーム住まいである。
 留守番電話を備え、エアコン、ユニットバスが標準。
 んが、あたしゃそんな昭和スタイルが気に入ってそこに決めたのである。




 とてもじゃねえがオンナなんか連れ込めねえ。




 ちなみに云うと大手銀行の独身寮でさえ呼び出し電話であったことを記憶している。
 留守の場合にそなえて言付け用のメモが、それも使用済みカレンダーの裏紙をホチキスどめしたようなのが、電話機の傍に用意されており。
 先の丸まった鉛筆で殴り書きしたメモを留守室のドアに挟んでおいたものだ。




 トキワ荘かと




 話を戻す。
 もろもろあって仕事を蹴って、
 腹を空かせ、ポケットの小銭を握りながら商店街を歩いているときに目にしたのが、そのビデオ屋だ。
 手書きの求人広告が貼りだしてあった。
 店に足を踏み入れると、グレート義太夫似の髭面の男がカウンターの向こうからぬっと顔をのぞかせる。
 座ったままぼそりとひと言「いらっしゃいませえ」煙草をくわえていた。
 ハイライトと缶コーヒーの匂い。
 それが店長で。
 店員がタバコを吸っていることも珍しくない。
 映画談義に花を咲かせる客のためにと売り場にも灰皿を置いていた、そんな時代である。


 ともかくも四の五の云ってられない。
 背に腹は代えられない。履歴書をもって出直して、アルバイトを申し込んだ。
 実を云えばそのときあたしゃビデオデッキも所持していなかったのであーる。
 

 とはいえ、ポケットの小銭だけが頼り。
 給料日までとても生活が持ちそうにない。
 経済状況については黙していたのであるが、義太夫はあたしの風情からそれを察したのだろう。
「カネ、あるの?」と。
 そこは正直に白状した。
 たしか二万円だったか、貸してくれたっけ。


 借金は次の給料日に給料袋から手渡しで返済。
 しかし、やはりまた金欠となって前借り。
 そんなかつかつの生活を三か月ほど繰り返しただろうか。
 ようやく前借りなしで食えるようになった給料日。閉店後に義太夫の誘いで近所のラーメン屋に向った。
 義太夫に勧められるままに葱ラーメンを注文。
 その店の定番だという。
 生れてはじめて口にするとんこつラーメンで。
 へえこんなものか、と大した印象は抱けなかったのだけれど、時間が経つにつれてまた食べたくなり。
 それ以後、給料日のたびに通うことになる。

 
 いつだったか同じカウンターにいた別の客がそのお連れさんに葱ラーメンの美味さを熱弁していたことがある。
 しばし聞き入った。
 ご機嫌さんで、週末にここに来るのが楽しみだと。
 ここの葱ラーメンを食べないと一週間が終らないと。
 それを聞いて店員のパンチパーマのあんちゃんが顔を赤くしていたな。
 なるほど、昼時には行列のできる店であったことをのちに知る。
 

 しかし『スープは残すな』等と注意書きを貼りだす面倒な店でもあったのだ。
 思うに、ラーメン屋の頑固ぶりが持て囃されはじめたのは、あの頃からかもしれない。
 しかし、んなこたあ云われるまでもない。スープなど残せるわけがない。
 



 べらぼうに美味かった。




 店員はみな元ツッパリのあんちゃん風で。
 なかでもあばた顔で足の悪いパンチパーマのあんちゃんが居たのをよく記憶している。
 明け方にはいつもカウンターの隅っこで賄い飯を貪っていた。
 丼飯に山ほどチャーシューやら葱やらを盛り上げた謎のやつ。当然メニューにはない。


 うまそーだったなあ。


 最後に訪れた日は記憶している。
 葱ラーメンにギョーザを頼んだ。
 そのギョーザを新人のスタッフがうっかり焦がしてしまった。
 慌てて作り直すのでラーメンが先に着丼。
 ところがそのやり直しのギョーザもまた焦がしてしまうと。
 おわびに、と先輩店員がライスをサービスしてくれた。


 新人を叱る声が奥から聞こえた。


 ギョーザなんてメインじゃねえんだよ。うちはラーメンがメインだ。サイドメニューなんかおまけなんだから、こんなの後回しでいいんだよ。


 届いたギョーザの味がしない。
 二度と来るかと思ってそれきりに。


 思い返せば店員の顔ぶれはまるきり変わってしまっていたな。
 パンチのあんちゃんはもういなかった。

 
 その店が現在でも健在だと知ったのは単発夜勤への道すがら。
 帰りに寄ろうと楽しみにしていたのだけれど、営業時間がいまは零時までになったらしい。
 夜勤終わりではとても間に合わない。


 食べログによれば清潔感がウリという。
 コメントはどれもその清潔感を讃えていた。
 昔と違ってこれなら女性客にも入りやすいことだろう。


 アップデートというやつか。


 葱ラーメンはいまも看板メニューだという。
 けれど、画像によると盛り付けが昔とは異なっている。
 かつてはたっぷりの白髪ねぎに特製ドレッシングをまぶしたものだけであった。
 あのドレッシングがうまさのミソだったのだ。
 どういう配合なのかいつもその瓶の扱いに注目していたものであーる。


 いまの盛り付けはもやしがでかい顔をしている。
 葱ラーメンがもやしにのさばられてはダメだろう、と食べてもいないのに思ふ。




 決して不潔ではないが、カウンターやテーブルの小瓶類がどこか油じみていた昔のラーメン屋の風情がなつかしい。
 おそらくその懐かしさはあのパンチのあんちゃんのはにかんだ笑顔とセットであるのに違いない。
 かくいうあたしはどうだっただろう。
 パンチのあんちゃんの記憶に残ることばできなかっただろう。
 義太夫は覚えているだろうか。
 その記憶の風景に、いまもあたしは居るのだろうか。
 カネがないことを見破られた若造が。あの青二才が。
 







 ☾★闇生☀☽