『VOCA展 2018』
『津上みゆき 時をみる』(同時開催)上野の森美術館にて。
さて有給最終日。
どう過ごそうか決めぬままに電車に飛び乗った。
マッカーシーの『越境』を読み進めているとあっという間に終点の新宿だ。
しばし駅構内でスマホをいじって目的地を選考す。
岡本太郎記念館が頭に浮かんで検索したが、残念ながら休館日ではないか。
自宅にちかい岡本太郎『美術館』のほうは近い割にには交通の便がわるいので、論外と。
なんとなく総武線に乗る。
秋葉で下車。
なにも考えず昭和通りに出て、ちょっと早めの昼飯にしようと決める。
11時過ぎ。
天下一をのぞくとがら空きだった。
味噌ラーメンとギョーザをたのむと、カタコトの女性店員さんはサービスで半ライスがつくと教えてくれる。
ええいままよとご厚意にあずかる。
ギョーザ、でかし。
うまし。
にんにくとニラが、ちゃんと胸張ってるし。
威張ってるし。
だもんで浅草で寄席三昧という選択肢は、はい消えたー!
ご満悦~。
半ライスとはいえ、あたくし的には充分である。
おそらくは1.5日分くらいのカロリーは摂取できた模様。
厨房から聞こえてくる闊達な中国語らしきやりとりが、耳に心地よい。
ま、悪口言われてるのかもしれんのですがね。
いいじゃないですか。
うまうまなのだ。
食事中、入店したサラリーマンが躊躇なくハイボールと揚げ物系をたのんでいたのが爽やかだった。
いけいけっ。
中性脂肪もなんのそのである。
さて、ぶらぶらとアキバをほっつき歩いて、前職のエロ屋の健在を確かめると、その足で上野を目指した。
やはりここ数日上野に引き寄せられている。
ここまで上野のミュージアム系に手を出したのだ。
どうせなら上野の森美術館にも唾つけとこうと目論だ次第。
企画展はVOCA展という。
40歳以下の新進気鋭の作家たちによるコンテスト。
これは空いているぞと、食後の風通しの良さを期待した。
平日にもかかわらず、学生たちの春休みと桜の開花が相まってか公園は大盛況。
うじゃうじゃいる。
このVOCA展も混雑こそしてはいないものの、入場者の絶えない状況と。
現代の、それも無名に近いアーティストの企画展で、この入館数は恵まれているのではないでしょうか。
「これは何を描いているの?」
と、係員に尋ねる初老のご婦人をみかけた。
複数の油彩をカンバスに撫でつけたような画面を前にしてのことである。
この問いは、実は、表現とそれを観賞する者の関係を、実にシンプルにあらわしている。
シンプル過ぎて、うっかり吹いてしまうような問いだが、訊かれた係員も内心は苦笑したに違いない。
その『何』を、作家と観賞者がともに探る行為自体に芸術の意義があるのだから。
そして、そんな素朴な問いをするような現代アートからほど遠い実生活をしている庶民を惹きつけてこそ、表現には意味がある。
いわゆる高尚なら良いというわけではない。
いわゆる大衆的なら良いというわけでもない。
んなことを考えさせてくれる企画であった。
そして、その展示会が『上野』で催されるということに意味があると思った。
これ、青山なんかでやったんじゃだめだ。
都内と地方でごった返す上野で開催してこそ。
うっかりと、なんだか知らないがここだけ空いてるから入っちゃった、でいいのだ。
マニアや学者や評論家たちで形成する狭く見えない輪のなかに、新進気鋭の作家たちを囲い込んでしまっては、いけない。
といったところで、氷結ストロングの酔いがまわってきた。
んじゃあ、おつかれ。
追記。
新宿で途中下車。
高島屋の紀伊国屋はいつのまにか消滅してたのね。
アルタの方の紀伊国屋でボスとシャガールの入門編的な画集を購入。
晩酌の肴にする予定。
☾☀闇生★☽