真夜中に目覚めると、海鳴りが聞こえた。
海は東にあるのだけれど、寝静まった真夜中にふと風向きが変わるときがあって、北側の阿武隈山脈に反射した海の音がごうごうと空に轟いた。
幼い頃はそれがなんの音なのかわからなかった。
闇に慣れた目で天井の木目をみつめながら、じっとその恐ろしい咆哮に耳を澄ましていた。
まもなく風が変わる。
静まり返る。
すると踏切の鐘が遠くから聞こえてくる。
かん、かん、かん、かん……。
これも夜更けすぎにしか聞こえない。
誰もいないであろう畑の踏切を、寝台特急だか貨物列車だかが通過していく。
ときに警笛が鳴ったのは線路に入り込んだ獣に対してであったのに違いない。
こわくて、しんと静かで、どこかさびしい。
それが幼き自分にとっての夜の音たちだった。
上京して驚いたのは、空が夜通し鳴っていること。
海鳴りではない。
ひっきりなしに国道や高速を飛ばしていく車、やむことのない夜間工事、緊急車両のサイレン、喧騒……。
それらがみな上空でまぜこぜとなってごうごうと吼える声となる。
しかしやがてそれにも慣れてしまう。
鳴り続ける空の咆哮など意識しなくなる。
その頃はむろんネットもない、
スマホはおろかケータイもない。
深夜にバイトから帰宅してもやることがない。
酒の味もまだわからず、またそんなカネもなかった。
理由のない焦燥感につねに苛まれていた。
眠れない夜がつづいた。
深夜のテレビに飽きれば、部屋を出て歩き続けた。
人が恋しかったのかもしれない。
国道沿いにあるけば一時間もせずに新宿に着く。
南口ルミネ前の階段はその頃はまだ剥き出しのコンクリートで、手すりの鉄パイプは錆びていた。
階段下の公衆トイレは臭くて近づけなかった。
人ごみを求めて歌舞伎町を目指す。
コマ劇場前の広場。
女装の街娼。
オールナイトの映画館の上映スケジュールを眺めて品定め。
たまに入場すればいつも誰かがいびきをかいていた。
始発までの仮眠に利用している人たちだ。
歩き疲れればアパートを目指す。
結局なにをしに行ったのか。
ただ彷徨って帰るだけ。
身体を疲れさせるためにただ歩いた。
吉野家がまだ定食を納豆と焼き魚の二種類しか出さなかった時代。
女性客を見かけることは珍しく。
それも朝六時からしか受け付けない。
店員は定食を符丁で「A定」「B定」と呼んでいて、あるとき注文をしたら壁の時計を指さして「まだ二分前なので受付できない」と云われたことがある。
二階に研修センターを置く店舗においてですらそうだった。
アパートはその吉野家の裏手すぐにあった。
甲州街道に並行して東西にのびる緑道があり、
それは地下を走る京王新線の地上を活かした道だった。
窓をあけると眼下にその水飲み場が見える。
夜明け近くには何人かのホームレスが身体を洗いに集まった。
背中に紋々を刺れたのとその他が石鹼の貸し借りで口論になっていたことがある。
子猫がいるのお、
といって女の人が泣いていたこともある。
ベンチに捨て置かれた紙袋から鳴き声がするので覗いてみたら、ほら。子猫が、と。
小皿に入れてあったらしいミルクがこぼれてびしょぬれだった。
どうしよう、と見知らぬ女の人に声をかけられたが。
うん、どうしよう。
どうしようどうしよう、うわあああん。
それらもまた街の発する幾万の音の群とまぜこぜとなって夜の咆哮の一部となっていたのだろう。
孤独なホームレスのつぶやきも、どこかでスケボーの転がる音も、きっとそのなかに溶け込んでいる。
夜、布団のなかから天井の木目を見つめ、ただ耳を澄ませているだけの子供が、いた。
その成れの果てがこのあたしにほかならない。
耳を澄ます。
PCを閉じ、スマホを置いて、耳を澄ます。
きっと今でも、そしてこの眠らない街にも、そんな子供はいる。
真夜中の海鳴りがあたしにとっての原風景の音だったように、街の子は街の音に抱かれて育つ。
そして、
その音には私もあなたも、すべての人が関っている。
☾☀闇生☆☽