壁の言の葉

unlucky hero your key

腰をやる。

 

 ぎっくり腰、再発す。
 

 何年ぶりだろう。
 なるほど予兆はあった。
 若いころ、箸も歯ブラシも持てなくなるほどの重度のぎっくり腰を経験しており。
 それからというもの、腰の扱いには常に注意を払ってきたつもりではあった。 
 それはもう洗面所にしがみついて歯を磨き、口をゆすいだ水を吐きだすために首を傾けることすらできない有様だったのであーる。
 正面をむいたまま「ンダーっ」と口を開けるほかなく、顎も胸もびしょぬれだ。
 鏡には眉間に皺をよせて「ンダーっ」な自分。
 そのときつくづくと自分が嫌んなった。
 これ以上の「トホホ」な状況などそうあってなるものかと。


 だもんで、腰の発する『 声 』には敏感にならざるをえない。
 このたびの声は、先週あたりからであったと思う。
 はじめ軽い腰痛として耳元でささやきはじめている。
 しかしそれくらいの不調ならば耳を貸すまでもないことであり、勤務の合い間などに軽いストレッチで解消を試みる。
 普段ならばじきにそれで収まっていくものなのだが、今回は一向に収まらない。
 腰は訴えつづけていた。ぶつぶつぶつぶつと。


 ある日靴下を履こうとしたとき。
 おや? 屈みにくいぞ。
 さすがにこれは警報ではないか。


 さあどうする。どうすんのよ、と腰。


 そういう時は床に座り、左右の足の裏と裏をあわせて開脚する。
 そのまま膝をできるだけ床に近づける股関節のストレッチ。真向法といったと思う。
 熟練者は両膝の外側を床につけたまま上体をぺたりとうつ伏せにすることができる。
 あたしゃいまだにそこまで軟らかくはならないけれど、前傾にすることはできた。 
 それが、
 あたたたたたたたた、と。


 ほらみたことか、と腰が嗤う。
 

 前傾できない。
 そもそも胡坐をかけなくなっている。
 うしろに倒れてしまう。
 悪いことは重なるもので、そういうときに限って重い資材を運ぶ現場が予定されている。
 今年からはそういった現場から足を洗うと公言していたにもかかわらず、某先輩からの圧に屈して泣く泣く引き受けてしまっていたのだ。
 彼は現場で顔をあわせるたんびにあたしの袖をぐいと引き、目を見て、低音でぼそり「来てよ」と。
 おっさんがおっさんの袖をひいて「来てよ」である。
 いやいや遠慮しますよと。もうそういうのは若い子に譲りますよと。
 先輩は会社にも手をまわしておるらしく、


 「他に人がいないんですよ」


 と内勤からも要請された。
 愚かだった。
 あたしゃそれで引き受けてしまったのであーる。


 日が近づくにつれて症状は悪化の一途をたどる。
 腰はもはやだんまりを決めこみ、語りかけてはくれない。
 ぶすっと男梅の態。
 当日はロキソニンを服用して挑んだ。
 夜勤のあとバイクで一時間かけて帰宅。
 二時間ほど仮眠をとってふたたびバイク。四十分かけて集合場所へ。


 工事あとの仮舗装のでこぼこが腰を殴った。
 人孔まわりの舗装の凹みで哭いた。


 仲間と二トンに乗り合わせて一時間半。
 高速道路の舗装の継ぎ目ですら腰につらくあたってくる。
 下道では揺れるたびに漏れそうになる声をかみ殺すありさまで。
 それよりもきつかったのは降車時だ。
 シートから腰をあげようとすると激痛。
 このおっさん、朝っぱらから「んああっ」と喘いだものである。
 ラッシュ時の駅のトイレの個室から轟いてくるおっさんたちのあの「んあっ」や「っあぁ!」をまさか自分が発しようとは夢にも思わない。
 反省はする。
 かっこ悪さも自覚するものの、んなこた腰は容赦しないわけであり。
 ましてや同僚たちにとっては他人事だもんで。


 いでででででで。 
 

 誰も気にしてくれない。
 こんなやつらのために引き受けたのだよ、あたしゃこの仕事を。
 歯を食いしばって作業をこなす。


 明けて朝から研修。半日。
 これも「ほかに人がいないんですよ」で引き受けた。
 講義ごとに「起立、礼、着席」を繰り返す。
 それでもなんとか頑張って、その夜の現場からは外してくれと会社に懇願。
 代打を捜してみるとの返答だった。 
 その声音からすれば、あてにならん。
 「今さらいうなよ」感にみなぎっている。
 「定時に帰りたいんだよ、くそじじいが」感がそれを後押ししている。
 飯を食い、ともかくも寝る。
 夕刻、久しぶりに味わう深い眠りから目覚めた。
 が、寝返りがうてない。
 起き上がれない。
 スマホに手をのばして会社にかける。
 代打について確認すると、「見つからないっす」と若造め。
 なんとすずしい声だろう。
 繰り返す、若造め。
 おそらく内勤は代打を探していない。
 腰もね、やった奴にしか痛みは想像できないのだ。
 案の定、労いの言葉ひとつなかった。
 ましてや、大病もなく現場経験も積まずに若くしてぬくぬくと冷暖房完備の事務所で日々の定時を待つご身分だ。
 そういう連中だということは知っていた。
 そうと知って頼った自分が愚かなのであーる。


 着替えよう。


 時間をかけ、呻きながら体重を移動させ、起き上がる。
 靴下が履けないことに気づく。
 脱ぐのは足だけでできた。
 けど履くという動作は脱ぐ動作よりも高度らしく、手を使わねばならないことを思い知る。
 そういや幼児も履く・着るよりさきに脱ぐことを覚える。


 まず屈めない。
 んあああああああっ、と気合をいれて靴下に足の親指をひっかける。
 そのまま引き上げようとするがそうはうまくいかない。
 他の指や踵に引っかかって腰に激痛が走る。
 履けたところで靴下はねじれている。
 はがっ、はがっと脂汗をかきつつどうにか履き終える。


 次はうんこだ。

 わが詫び住まいのトイレはいまだに和式便器である。
 うりゃーーーーーーっ、と気合でトイレにしゃがむ。
 かつて昭和の和式便所には握り把手があった。
 排便体勢をとったその正面の壁、胸の高さあたりに短い手すりが横に一本取り付けられていた。
 ふんばるときに掴むのだ、と親が教えてくれたのを覚えている。
 んなばかな。
 と幼き闇生には理解しかねたもので。
 それが今になって、あの手すりのありがたみに気がつくのだな。
 今更わかったところでわが詫び住まいの哀しき和式トイレにはそれがない。
 仕方なく、トイレットペーパーのホルダーや壁から出ている水道管などを頼って握ってなんとかその体勢をとりにかかる。
 んが、ちゃんとしゃがめない。
 片膝をつくホストかと。
 頑張ってそこからサインを出すキャッチャーのような、あるいは関取の蹲踞のような体勢を試みるのだが、それはもうあられもない事になってしまっており。
 それでも便意は遠慮会釈もないわけであり。
 
 
 そしてケツを拭く。 

 破っ! 

 破っ!


 と根性で身体をひねり、


 腐
  ぬ
   ぬ
  ぬ
  ぬ
  ぬ
   ぬ
    !

 と我がおケツを拭く。
 拭く。
 拭く。
 精神論万歳である。
 我がおケツは気合と根性を消費することでかろうじて浄められている。


 で現場へ。


 電車にしようかとも思った。 
 けれど、どうせ座ることは出来ないだろう。
 座れたとしても目的地で立ちあがる自信がない。
 人ごみでスマホ歩きや酔っ払った対向者を避けながら歩くのも、しんどい。
 バイクで行くことにする。


 現着すると例の先輩が声をかけてきた。
 彼がアタマを張る現場だ。
 無理に誘ったから腰を悪くさせてしまったのだろうか、と。
 所詮は社交辞令也。
 なのでこちらも社交辞令で返す也。
 そんなことないっすよと。
 それを確認すると、その件についてはそれきりだ。
 実際、引き受けて現場に出た以上は、やる。
 引き受けることを最終的に決断したのは自分なのだし。
 奴隷ではないのでね。
 嫌なら徹底して拒めばよいだけ。
 そして出た以上は変に周囲の同情をかって自身を庇わせながら作業をさせてしまうと第二第三の怪我や事故を誘発させる。
 それは経験で知っている。
 通常とは違う手順や作業、労力、ペース配分となって注意散漫にさせてしまう。
 それが事故のもと。
 そうなると最悪だ。自分を庇うことで仲間が怪我をするなんて、悲劇だろう。
 休むなら、嫌われるのを覚悟で休むべし。
 自分のためだけではなく仲間のためでもあるのだな。


 
 とりあえず土曜の夜勤は拒否した。
 悪化させてしまった、と訊いて内勤は申し訳なさそうな声を出した。
 けれど彼らは痛くも痒くもなかろう。
 自腹であたしの日当を払うわけでも無し。
 週明けの月曜も休むことにした。
 日曜は内勤と連絡がとれない。よって先手で申請しておくのがスジでもある。
 当日に急に「休む」ではまた迷惑となるし。代りは見つからない。それは現場の仲間への負担となる。
 火曜以降は要相談と。


 久しぶりにゲームでもして過ごそうかと思ったのだが、座っているだけでも負担がかかるのだな。
 では、よろしいですか?



 




 という字は、
 月 +  
 肉月へんに要( かなめ )と書くのです。





 ☾☀闇生☆☽