円墳に稲荷神社が構設されている。
郷里の小学校の通学路にもこのタイプの古墳があった。
古代。
秀でた故人が丁重に弔われ、
祀られ、
追慕され、
語り継がれながらいつしかときが経ち、
少しずつ忘れられていく。
故人の具体的なヒトとナリは忘却されるものの彼への、ひいてはその象徴としての墳墓への畏敬の念は受け継がれていく。
儀式、儀礼化される。
やがて古墳は木々に覆われ、それが墓であることすら忘れられた森となる。
とはいえ、ただの森ではない。
古代から代々に継承されてきた想いが、もはや精霊と化して棲んでいる。
それはもののけ、もしくは神だ。
畏れ、敬ってまた祀る。
円墳の完成から稲荷神社の構設までどのくらいの時間差があるのかは知らない。
けれど非常に自然な流れだと思ふ。
美しい。
そうか。
森は生命の誕生の場であると同時に、動植物にとっての墓場でもあるのだ。
墓場は再生の現場となる。
くりかえし代謝して受け継がれていく。
これはただの滑り台。
古墳の近所の公園の。