壁の言の葉

unlucky hero your key

号泣。

お題「邦画でも洋画でもアニメでも、泣けた!というレベルではなく、号泣した映画を教えてください。」

  • 小説

アルジャーノンに花束をダニエル・キイス
国盗り物語司馬遼太郎
竜馬がゆく司馬遼太郎
冒険者たち ガンバと15匹の仲間』斎藤 惇夫著 , 薮内 正幸 画
西の魔女が死んだ』梨木果歩著
『恋文』連城三紀彦
孤高の人 ( 上下 )』新田次郎

 アルジャーノンは説明不要。
 人生の縮図だと思う。
 映画や舞台にもなっているけれど、原作は小説にしかできない表現方法によって成立している。

 国盗り物語は、天才と天才。
 斉藤道三と織田信長
 孤高の才人のみが共鳴することのできる天才への敬慕と憐憫に。

 竜馬も説明不要かな。

 冒険者たち
 これは名作アニメ『ガンバと仲間たち』の原作。
 アニメを先に知ったので、姉に勧められてこれを手にした時には挿絵にまず引いた。
 ちっとも可愛くないリアルな鼠が描かれていたからである。
 けれど、夏休みの読書感想文の〆切が迫っており、不承不承読み始めた次第。
 子供が人間という生き物を客観的に意識する適材でもあるかな。
 少年のうちに読むべき一冊。

 西の魔女が死んだ
 たしかこの後日談のようなのもあったけれどそれこそ蛇足というもので、要らなかった。
 齢を重ねて読み返すと感情移入する人物が変化していくと思う。

 恋文
 これは好き嫌い別れるのかな。
 別れるのだろうな。
 でもな、人生ってそういうもんでねえのかい。
 それぞれにそれぞれの人生があると。


 孤高の人
 これを忘れていた。
 実在の登山家を描いている。
 夢中で読んだ。  
 孤独を拠り所とし、けれどその寂しさにももがく。
 そこに共感する。共鳴する。
 ゆえにこれでもかというくらいに泣いた。
 新田次郎は孤独に生きる男を描いた作品が多い。
 短編では『強力伝』など
   
 以上、
 幼少期もしくは青年期に読んだものばかりだな。


 
 

  • アニメ

宇宙戦艦ヤマト』劇場版
銀河鉄道999』劇場版
『さよなら銀河鉄道999』劇場版
風の谷のナウシカ
火垂るの墓

 ヤマトは何作目のだったか覚えていない。
 小学三年生だったと思う。
 親抜きで観に行った初めての映画だった。
 友だちと行ったのだけれど自分だけが号泣して恥ずかしかった。
 恥ずかしいのに涙が止まらない。
 大泣きしているあたしに友だちは引いていた。
 けれど、どうしようもなかった。

 999も説明不要でしょう。
 テレビ版とキャラデザが大幅に変更されたのを云々する人が多かった。
 けれど、自分としては窃盗で糊口をしのぐ浮浪児として、あのギラギラした鉄郎の面持ちの方にリアルを感じた。

 ナウシカ
 「そのもの青き衣をまといて」
 ひと回り以上年下の同僚はこのシーンで大爆笑したという。
 なんで? と訊くと「だって、だって」とこみ上げる笑いで言葉にならなかった。
 鉄板シーンはただちに定番となりベタとなって、やがてお笑いになるらしい。
 リアルタイムで観れて本当に良かったと思った。
 
 火垂るの墓は、大人になった今となっては泣けない。
 初見で嫌な奴に見えた大人たちこそが、実は現実を見据えていたのだとのちに知る。
 

 番外編として。
 HUNTER x HUNTERのテレビアニメ版のメルエムとコムギの例の回。
 これを観て号泣する外国人たちのリアクション動画があるのだけれど、それを観てがっつりやられた。
 基本的にハンタはアニメで観ない。けれど、エンディングをあの回のみイレギュラーな構成にしたのは制作陣の英断。脱帽。
 あたしゃ漫画には漫画にしかできない、そしてアニメにはアニメにしかできない表現を求めたいのだけれど、原作をリスペクトしつつもアニメならではの時間を抽出したあの回は特にすばらしい。……ということを号泣する外国人たちに無言のうちに教えられた。

  • 映画

ニュー・シネマ・パラダイス
『ロッキー』
アルマゲドン
『ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ
『父に祈りを』
 
 ニュー・シネマ・パラダイス
 説明不要。
 映画を好きならば、愛するならば、観ろ。

 ロッキー
 ベタです。
 けれど実は号泣したかどうかははっきりしない。
 最初に観たときえらい泣いたような感触があるのであげた。
 これね、実はね、黒澤明も称賛しているのね。黒澤組の座談を収録したビデオのなかで。
 ああいう頑張って頑張って努力してやっと達成する話というのはいいよね、と。
 のちにベタと云われるようになった、ということは普遍的なのだと思う。

 アルマゲドン
 正直好きではない映画です。
 大味で雑だと思うし。
 ならず者を含むキャラ立ちした連中でパーティを組んで皆を( つまり里を、国を、地球を )守るというスタイルでいうと七人の侍の方が数段上だし。
 RPGにももっともっと丁寧なつくりをしているのがある。
 けれど、他を生かすために自分を犠牲とする話はやはり強いのだな。
 自己犠牲は尊い
 先に挙げたヤマトやアトム、ナウシカ同様に特攻映画とも受け取る人もいるだろうけれど、つまり、だからこそ普遍的なのだと思う。
 犠牲愛が通じないのならば、世も末だろう。
 エアロのあの曲にリブ・タイラーの涙だもの。ずるいってえの。
 必ずしも号泣が良し悪しの基準にはならないという代表格。

 ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ
 天才チェリストの実話をもとにしている。
 初見ではそれほど胸を打たれなかった。
 天才の妹をもつ凡才の姉、に感情移入していた。
 二度目でやられた。
 もしも時間を遡って、幼児期の自分に出会うことが可能だったなら、その子( 自分 )の未来をまるごと肯定してあげることができるだろうか。
 と思う。
 正直、あたしゃ自信がない。
 この先に待ち受ける災難や不幸や不運も、そして惰性として享受する平和まで知った上で「大丈夫よ」「心配ない」と云えるだろうか。
 それを云えるように生きてみせなければならんのだけれど。

 父に祈りを
 これも実話がもとだ。
 無実の罪で投獄された親子の話。



 以上、思い出すままにつらつらと書いた。
 大人になってからは『号泣』『泣けた』を作品の尺度にはしていない。
 心に残っている多くの作品が実は泣けないと確認した次第。



 ☾☀闇生☆☽