壁の言の葉

unlucky hero your key

ショート・ショート  『月とタネと』

 ショート・ショート
 『月とタネと』



 お月さまのスポットライトを浴びて、もの悲しさのなか、ひとり歌っていると、
「おや、迷いましたね」
 そう声をかけられた。
 物陰に目を凝らすと、声の主はそこで銀色に光っている。
 たしかに俺は道を失って途方に暮れている。なんだか見透かされたようで気恥ずかしく、ともかくも、
「わかりますか」
 と答えると、
「いえなに、声にいつもの張りが無いようでしたので」
 知っているのか、俺を。
「いけませんね、ケンカは」
 些細なことで女と口論となり、飛び出したはいいものの格好悪くて帰るに帰れない。かといって行くあてもなく、持て余してさまよっているうちにこの通り、迷子になってしまったのだ。
 それにしてもこいつ、なぜそれを知っているのか。
「失礼ですが、以前にお会いしたことが?」
「いえいえ。ただ、夜ごとあなたのお歌を聴かせていただいているうちに、今ではそのぉ、ちょっとした節まわしの違いであなたが何を想っておいでなのかまでが、わかるようになったのです」
「歌声だけで?」
「ええ」
「迷子とケンカが?」
「ええ、ええ。恋に師匠なし、とは言うものの、蛇の道は蛇ともいいますから」
「ほお」
 よく見るとこいつ、俺にもくぐれるほどの大きな輪の形をしている。
 いったい何者なのか。
「ところで……」
「どうしたらこの闇から出られるのか、ですね?」
「はい、どうやらここは袋小路のようで」
「実は私も出られなくなって困り果てていたところなのです」
「では、出口はないのでしょうか……」
「恋は闇と申しまして、とかく迷いやすいものなのです。……とはいえ、迷ったらすぐかえればいいだけなのですが」
「帰る道がわかっていれば、私だって迷ってはいない」
「帰り道は、返り道。《病めるときも健やかなるときも》と誓ったあの日に返る道」
「返る道?」
「大丈夫。往々にして入口は出口をも兼ねるものなのです」
 と銀の奴はお月さまを見上げて、
「ようするにケンカのタネが、仲直りの《良かっタネ》にもなるわけでして」
「――」
「あなたが迷い込んでくれたおかげで、どうやら私も助かりそうですよ」
「しかし、どうすれば……」
 銀は声を励まして、
「歌いなさい」
 と。
「歌う?」
「そう、あのお月さまに聴かせてあげるつもりで」
「あの月に……」
「歌えよ。さらば開かれん」
 そもそも歌うことは俺の仕事。ならば指図されるまでもない。
 俺は、深まっていく秋のもの悲しさを歌いはじめた。
 すると一天にわかに掻き曇り、何者かのするどい視線が俺を貫くではないか。
 見張られている。
 俺のなかの動物的本能が、その気配にはっきりと殺気を感じ取っている。
 こわい。
「何を怯えているのです。さあ、もっと歌って」
 このただならぬ気配、銀の奴は感じないのだろうか。そう思って見ると、奴はお月さまを見ろと目配せをした。
 頭上にのしかかっていた巨大な満月。それがいつの間にか大きく欠けている。欠けたその影の中に、なんとギラリと光るふたつの目玉が現れた。
「来ましたよ、来ましたよ。おむかえが」
 銀が、待ちかねたように言う。
 冗談じゃない、バケモノじゃないか。
「さあさあ、もっと歌って」
 そう言われても……。
 恐る恐る歌を続けると、今度は目玉の下が一文字に裂けて口となり、べろりとひとつ舌なめずりをした。
 思わず俺は跳びさがった。
 鋭利な牙がぬらりとのぞいていやがる。
 襲ってくるのではないか。
「大丈夫。格子が邪魔して入れないのです」
 さながら独房の窓のように、お月さまに六本の格子がはめられているのである。
 バケモノの奴、それがよっぽど悔しいのだろう。
 ギギギ、ギギギギ……。
 格子に爪を立てて、こちらを恨めしそうに見ている。
「さあ、もっと歌って」
 俺は聞こえよがしに喉をきかせた。
「そろそろですよ、そろそろ」
 何がそろそろだか。
 バケモノは格子に鼻を押し付けてますますいきり立つばかり。
 ギギギ、ギギギギ……。
 その音が闇の中に反響して俺をすくませた。


「あら、だめよパス。おじいちゃんのギターにオイタしちゃ」
 壁のギターは夫の宝物。
 三毛猫が懸命にそのサウンド・ホールを覗いている。
「こらこら」
 妻は猫の首根っこを掴んでリビングへと放った。
 はて――、と彼女がギターを裏返し、二三度揺さぶってみると、なかからコオロギが一匹。
 それともうひとつ。今朝がたのケンカのタネが転がり出た。
「いったいぜんたいどこで失くしたんですか」
「たぶん着替えのときに……」
「まあ、わざわざアレを外して、お着替えになるんですか」
「いや、そのときに指から落ちたんじゃないかな……」
「ないかなって……。まあいやだ、いやだ」
 タネは結婚以来、夫の指を離れたことが無かった。
 が、時が経ち、年輪を重ね、思えば指の肉もずいぶんとおちた。
 ケンカした日は決まって午前様だ。
 それは若い頃から変らない。
 妻は畳に落ちた指輪を拾い上げ、
「なんでまあ、こんなところに」
 その不思議をひとり可笑しがった。
 今宵、老いた午前様には《良かっタネ》が待っている。
 



 つがいだろうか。
 月の照る庭でコオロギが鳴き始めた。




 ☾☀闇生☆☽

 
 数年前に、某音楽誌でボツいただいたショートショートでござる。
 いやはや、おはずかし。
 でもって青い。
 蒙古斑まるだしである。
 ま、MY負の遺産として、こっそり晒しておきまふ。