園庭の北東角からは自分ちが見えた。
緑色の針金をひし形に編んだフェンスを掴んで伸びあがれば、サツマイモ畑を割きつつゆるやかなカーブを保って北上する鄙びた田舎道の先に、赤いコンクリート瓦の屋根が見えた。
若い保母さんがそれを指さして云う。
「ほら、あそこ。見えるでしょ。ひとりで帰れるよね」
おっさんになったいま、Googlemapであらためる。
保育園から自宅までの距離はわすが数百メートルだ。
いまでこそ舗装されているが、その頃はまだ轍の刻まれた赤土の道で、いたるところにアメンボの張り付いた水たまりがあった。
ガードレールも歩道もない。
道路と畑の境界はタールを塗った木の杭か、道に沿って埋めた廃タイヤの半円がいびつにならんでいるくらいだ。
我が家の赤屋根はその道の先、遥か背景には阿武隈山脈が青く立ちはだかっている。
幼児のあたしにとって保育園から見る自分ちは、まるで僻地のようだったのである。
良く知られているように保育園には給食のあとにお昼寝の時間というのがある。
食後の睡眠で英気を養った園児たちは午後もお遊戯やレクレーションに勤しみ、それぞれの親がお迎えに来るのを夕刻まで待つ。
よって共働きのうちの子が多かった。
どこの母親も農家か地元の鉄工所勤めが多かったのではないかと思う。
なので日没前には大概の園児は親に引き取られ、
「ばいばーい」
ひとり、またひとりとママチャリの荷台から手を振りながら遠ざかっていく。
けれどあたしの母は地元ガス会社の事務をしていたのである。
集金の関係上定時に帰れることは稀で、保育園にお迎えにあらわれるのはすっかり陽が落ちてからであった。
園庭がまっ暗となり、ぽつんと明かりのついた教室にひとり残されてあたしはいつも何をするでもなくひまを持て余しているばかりで。
保母さんたちはというとあたしの相手をするのにも飽きたのだろう。職員室でお茶などして世間話に花を咲かせていたと思う。
いまにして思う。彼女たちにも予定があったろうにと。
早く帰りたかっただろうにと。
なんせあたしの家はすぐそこ。見えるところにあるのだから。
しかし帰ったところで誰もいない。
鍵もない。
そんなあたしんちの事情を思い出して保母さんはため息をして諦めるのであった。
そこは江戸時代には処刑場があったという。
地名にはその名残がある。
保育園の思い出というと、いくつかある。
が、どれもにがい。
園庭でのかくれんぼ。
あるとき大好きだった保母さんだけがどうやっても見つけられない。
あえなく時間切れとなり方々に呼びかけて出頭してもらうと、なんと彼女は玄関の靴箱のかげに隠れていたのである。
たしかにルールは園庭限定とは明言されてはいなかった。
とはいうものの、どうなんだ。
かてて加えてはたして玄関は屋外なのか、屋内なのか。
子ども相手にルールのグレーゾーンをついてくるそのいやらしさに、大人との距離を思い知らされた。
子供心に抱いたその距離感はついに解消されず、もやもやっとみんなの胸の内にわだかまったまんまかくれんぼはあえなくお開きと相成ったのである。
謎の宗教。
掲示板のガラス戸の桟に泥人形を祀り、あたしゃ教祖となってみんなにそれを拝跪させていたことがある。
はて、どんな流れでそれに至ったのかは思い出せぬ。
出まかせの呪文を唱えてひれ伏せば、みんなもそれをまねてひれ伏した。
繰り返し繰り返しハイになっていく謎の高揚感。
そうしているうちに誰かの親がお迎えにあらわれる。……ふと我にかえり、ふり返ると信者たちはみんなしらっと無表情だった。
うんこ。
はじめて保育園の和式トイレでうんこをしたとき、個室のドアをよじのぼった友だちに上から覗かれた。
「せんせーい。闇生くんがうんこしてまーす」
おどろいて体をひねって見上げた拍子に憐れうんこは便器の外にくたばった。
ベッドイン。
好きだった女の子のおふとんのなかでほわっと目覚めた。
お昼寝中にあたしが寝ぼけたらしい。
布団のぬくもりがまた心地よく、離れがたく、しばしふたりでぼう然としていた。……これはちょっとうれしい。
毛虫。
園庭の巨大な柳に発生した毛虫の大群が、風に流れたその長い枝を伝って部屋に侵入してきたこと。
お昼寝から目覚めると布団の周りをびっしりと包囲されていた。
キスキスキス。
給食に出た瓶ヨーグルト。その蓋の裏を舐めて浄めてさいごにキスをした。すると保母さんが「もう一回!もう一回やって」と他の保母さんまで呼び集めてウケていたこと。……なんだったんだろ。
ウケる母。
運動会での保護者リレー。
親たちが竹ぼうきでボールを掃きながらトラックを周回する。颯爽と先頭を走っていた母はコーナーで勢いあまって派手にずっこけた。
観客の保護者たちにドっとウケた。
母ちゃん顔まっかっかだったな。
宝探し。
国体の会場にもなった地元の運動公園。保護者同伴でピクニックに行ったのだと思う。砂場を使って宝探しゲームというのをやった。
保母さんが砂のなかに隠したカードを園児みんなで探すのだ。
カードには賞品の名前が記されてあって、たしかお菓子だったと思う。
始まるやいなや友だちはあれよあれよとカードをみつけ、一抜け二抜けと離脱していく。
しかしあたしだけが見つけられない。
結果ひとりぽつんと砂場に取り残されてしまった。
見かねた母と保母さんが駆け寄ってきて探し方をレクチャーしてくれる。そんな子供扱いに苛立った。だってかっこわるいじゃないか。なんでもカードは浅いところに隠してあるという。だから表面の砂を払うように探せとのお達し。
ああもお、ネタバレしてくれるなよと。
そんな怒りがこみ上げてきたと思う。
腑に落ちぬ。
わざわざ『宝探し』と題したのではなかったか。
宝という以上は悪い奴らが土中深くに隠したものでなければならない。そう固く信じて一途に一ヵ所を掘り進めていたのである。
なんなんだその浅いところに砂だけひっかけたように隠されてるだなんてやり口は。
犬のうんこじゃあるまいし。
それを当然と受け容れた皆にも腹が立った。受け入れがたかった。
そして、意固地になったあたしの視野に「ほら、ここにあった」とカードを差し出されてしまう。
泣いたね。
もうね、わんわん泣いたよ。
お泊り会。
園舎を俯瞰すれば 「 型となる。
南端がお遊戯室で。そこから北へ向かって年長のキリン組、ひとつ下のウサギ組、角に給食の調理室。東に折れてリス組、そして最年少のヒヨコ組という並び。夏のお泊り会は日没後に肝試し大会とあいなった。
南端のお遊戯室からひとりずつ出発し、まっくらな廊下をあるいて東端のヒヨコ組を目指す。
目的はそこに用意されたプレゼントを持ち帰ること。
あたしはたしか三番手だったと思う。
先にプレゼントを持ち帰ってきた二人が興奮して感想を云い合っていた。
保母さんに背を押され、明るく賑やかなお遊戯室から真っ暗な廊下へと出る。
背中で戸が閉められる。
しんとしたなか、歩き出す。
調理室を通り過ぎる。
それぞれの教室のなかは闇で見えない。
やがてゴールのヒヨコ組が見えてくる。
開け放たれた戸の向こう。常夜灯の豆電球だけがオレンジ色に灯っていて。畳敷きの中央に座卓があり、そのうえにプレゼントらしき箱が置いてあった。
手を伸ばすと、押し入れの戸がガタガタガタガタと。
驚いてお遊戯室まですっ飛んで帰った。
どうしたの? と保母さんに聞かれて「プレゼントがなかった」と嘘をついた。
先の二人が無事に帰還している以上、恐かったなどとは云えない。しかしバレバレの嘘は見透かされて鼻で嗤われていたのである。のちのちまで話のタネにされるという闇をまたひとつ作ってしまった。
クリスマス会。
これも夜だ。
サンタさんが来る、という触れ込みだったので昼のうちから雪が降るようにと祈っていた。雪が積もらなければサンタは来られない。橇が滑らない。サンタはトナカイの曳く橇で登場しなければならないのである。
しかし雪は降らぬ。
無情にもそのまま陽が落ちて夜となり、お遊戯室でサンタの来訪を待つこととなった。
保母さんの「あ。サンタさんだ!」の声を合図に明かりが消され、外からシャンシャンと鈴の音が聞こえてきた。トナカイの首輪にさげたあの鈴の音だ。
やがてサンタが現れる。
わあっと駆け寄ろうとする園児たちを保母さんたちが制御する。
サンタは何もいわず、プレゼントを置くや手を振って去っていった。
明かりが点く。園児たちは急いで窓辺に押し寄せる。
カーテンをめくりあげて園庭を覗くが、明るい屋内からでは何も見えない。
雪がないのにどうして来られたんだろうと、それはいまだに謎だ。
跳び箱。
卒園式のあと、保護者たちがお喋りに熱中しているので暇を持て余して跳び箱をしていた。
いつしか同じ年長組の女の子と競争になった。
そしてどうしてもその子が跳べた段が跳べなかった。
なにくそ。
とムキになる。
けれど「帰るよー」のお呼びがかかってはい終了~と。
時間切れだ。
それが悔しくてくやしくて大泣きした。
女子に負けての大泣きである。いつも一緒に遊んでいたその子もさすがに引いていたな。
情けない。
で、小学校へとあがったわけだけれど、それをきっかけにその女の子とはよそよそしくなってしまって口を利かなくなってしまった。
一クラス四十五人で一学年七クラスもあったので、お互いが埋もれてしまった。
気づいた時にはその子は転校していた。
とまあ、平常運転ではそんなびびりで泣き虫な子供であったのだ。
けれど、それが故にか勇気のような感触を自身に実感した瞬間を覚えていて。
それはその保育園よりも前。
母が保母を務める別の保育園でのこと。
園庭は小さく、ここもひし形に編んだ金網のフェンスで囲われていた、と思う。
園庭の外に飛び出したボールを追って、そのフェンスをよじ登ったことがある。
あぶないから出てはいけないとかねてから云いつけられていた。
けれど、その時は幼いながらに勇気をもってええいままよと飛び出したのである。
幼児が越えられたのだからきっと大人の腰ほどの高さだったのであろう。
着地したその鼻の先を車がごおおと通り過ぎた。
轍のついた白い砂利道。砂埃。
保母さんが叫んで走ってきたと思う。
それともうひとつは自宅で。
何かに駄々をこねていつまでも云うことをきかなかったのだろう。
呆れた母があたしを勝手口から外に閉め出した。
なかから鍵をかけて「もう入れてやらない」と。
するとあたしは謝りもせず、ぷいと西へと歩き出したのである。
なんてドライな幼児だろうか。
有体にいえばそう、かわいくない。
故郷は、南北に並行してのびる二本の国道に挟まれている。
この二本の国道を東西につなごうとする道ができつつあって、完成すればふたつの国道は繋がり幹線道路は H 型を呈する。
我が家はその横棒となる予定の工事中の道に面していた。
まだ舗装するにも至っていない道を西に向えば、すぐに国鉄の常磐線に遮られる。線路もまた国道同様に南北にのびていた。
新しい道はそこで陸橋となり線路をまたぐ予定であったが、その頃はまだ雑草の生い茂るただの丘だ。
丘の頂点の先には空しか見えない。
線路はその丘を割く切り通しになっていた。
よってこの丘を子供の領分の辺境と意識していたのだと思う。
ならばその向こう側はまぎれもない未知だ。
いまにして思えば近所の親たちは子どもたちが線路に近づかないようにと、それぞれ云いつけていたのだと思う。
そのせいで子どもたちはみなこの先をあぶない場所と見なすようになっていた。
それにもかかわらずあたしゃ母に閉め出されてそこを目指したのである。
謝りもせず、弁解も粘りもせず、ぷいとドアの向こうから気配が消えたので母は驚いたらしい。
ドアを開けてみるとこちらに背を向けて西へと去っていく幼児の背中。
あのとき、いったいどこに行こうとしていたのかと後年問われたが、わからない。
幼くして負けず嫌いをこじらせてしまっていたのか。
いたのだろう。
かわいくない子どもだと、我ながら思う。
いま上京して三十年以上が経つ。
うだつのあがらないまま今に至っておる。
弱虫の泣き虫がなんの当てもなくひょいと上京してなんの成果もなく、居る。
園庭の角から伸びあがって見つけたあの赤い屋根。
サツマイモ畑の先にみえた我が家。
あれから子供の成長に合わせて増築し、
屋根は青い瓦ぶきの二階建てとなり、
まもなく歳の離れた兄姉は巣立ってそれぞれに家庭を持ち、
やがて末っ子のあたしも出て、
三人の子を育てあげた兄夫婦がもどって二世帯住宅に建て替えられた。
あたしが慣れ親しんだ我が家は、すでにない。
ぷいと家に背を向けて線路の丘を目指したあのときのように、なんの手がかりもなく未知へと歩み出てなんやかんやしているうちに今その崖っぷちに達してしまった。
ふり返ると家はなく。
呼び止める声もなく。
そして周りには誰もいない。
なるほどな
とひとり嗤ふ。
☾☀闇生☆☽