壁の言の葉

unlucky hero your key

健診へ。

 早起きして新宿へ。
 なんやかんやと理由をつけては逃げつづけてきた健康診断ではあるのだが、このたびは観念した次第なのである。


 肚を決めた。


 朝日を浴びつつ人の流れに歩調を合わせ、電車に乗った。
 この日は正月九日。
 有給の消化も兼ねて十日まで休暇届を提出している。
 けれど何もしなかった。
 何をする気にもならなかった。
 よってこれが年明け最初の外出となる。


 ざまみろ。
 
 
 なにがざまみろなのかは知らぬのだが。
 いつもならば夜勤明けでぐっすりと眠っている時間だもの。
 座れる席などなく、
 もとより座るつもりで電車を利用したことなどもなく、
 座ればただちに睡魔にかどわかされるに相違なく、
 電車通勤していた頃を思い出し、突っ立って本を読んだ。

 
 晴天。


 新宿で降りる。
 ここでは構内で迷わないようになどとは夢にも思ってはならない。
 この駅ではとりあえず歩き、とりあえず出るのだ。
 出てしまえばこっちのもんだろう。


 どっちのもんだかしらないが、
 考えてみれば人生と同じではないか。


 同じなわけはないが、
 まあ、若い頃からそうしている。
 このたびも己の方向音痴ぶりをぶりぶりに愉しんだ次第なのであーる。


 寒い。

 
 まずは街に挨拶を。
 花園神社にお参りをする。
 世間の正月はもうとっくに明けてしまっており、
 当然のことながら露店はすでになく、
 跡形もなく、
 炙られて身悶えするイカの匂いも、
 焼かれながら転がされつづけるトウモロコシのこげた醤油の匂いも漂ってはおらず、
 そして三が日と週末の連休あたりにはまだ展開されていたであろう賑わいもなく、
 華やぎもなく、
 ちっともなく、
 といって閑散というほどでもないだけれど、
 ちらほらと散在するのは物珍し気な挙動をする外国人観光客のグループばかりで、
 それでも警備員が点在しているのはおそらくこの街に勤務しながらも正月中は郷里で過ごした人々が仕事始めにどっと参拝に殺到するだろうと見込んでの手配であると思われ、
 もしくは『念のため』という慣例的なあれで、
 あたしのような正月から零れ落ちてしまったような有象無象の気まぐれ参拝のためではないのだと思い知った。
 

 列を乱さぬよう、
 と自動音声案内が繰り返されている。
 並ぶ必要もなく何者かに縦パスをもらってひとり正面突破を敢行。
 外国人たちの好奇な視線を浴びるなかキーパーと一対一。
 二礼二拍手一礼


 にょーさんちとかんぞーとけつあつのすうちがほどほどでありますやうに。


 い
 ざ
 健
 診
 へ。


 雑居ビル。
 医院の扉は固く閉ざされている。
 なんの案内も掲示されていない。
 しらけきった共有廊下でひとり佇む。
 今日って平日だよな。
 Googleで検索。


 悪の十字架


 もとい、
 開くの十時か
 一時間も早いではないの。


 歩いて暇をつぶす。
 いっぽいっぽ潰してゆかんと欲す。
 前回は尿検査前にうっかりトイレを済ましてしまって、ひねり出すのに苦労した。
 なので今回は朝から水を飲んでトイレを我慢しつづけた。
 その甲斐あって尿のストックは万全だ。
 じっとしていると尿意にばかり神経がいってしまうし、なにより寒い。
 歩く。


 ゴールデン街
 ここにも外国人観光客の一団だ。
 撮影禁止だという警告板がそこかしこに貼りだされているのだが、彼らに読めるはずもない。
 

 靖国通り
 開店前のお店の前で若い女の人が膝を抱えて丸くなっている。
 酔いが醒めて始発を待ちながら、なんというか、もうどうでもよくなってしまったのだろう。
 せめて地下に行けば少なくとも屋外よりは暖かいはず。
 というかもう電車は動いている。


 新宿だなあ。


 歌舞伎町タワー。
 前回来たときは仮囲いがされ、外構工事もまだ済んではいなかった。
 歩道がひろびろと拓けており、さんざん苦労した歩行者誘導を思いだす。


 ラーメンでも食うか。


 と思いつく。


 そうだ! 久しぶりに桂花ラーメンにしよう。


 ……って、あほか。
 健康診断に来たんだぞあたくしは。
 と心の中で己に突っ込んだそのとき、目の前を歩いていた外人さんが仰向けにこけた。
 黒い革ジャン。イヤホン。茶髪のパーマ。痩身。
 旧アルタの裏通り。
 オーバーヘッドキックでシュートでもかまそうかというような派手なこけ方だった。
 思わず手を伸ばして立たせようとしたが、


 FU●K!

 
 とのお言葉をいただく。
 参拝直後の FU●K! である。
 なんという幸先だろうか。
 それはともかく、怒りの勢いあまって殴られやしまいか。
 助けようと反射的に差し伸べかけたわが手ではあったがニット帽へと軌道修正す。
 耳のあたりのかぶせ具合をなおしつつしれっと通過す。
 ピピっ! 暴言。


 イエローカード


 つるっつるに摩耗したインターロッキングの路面に血脂がこぼれていた。
 彼はそれに足を滑らせたのである。
 血脂はまるで何か怪物の死体でも引きずったあとのように靖国通りの方へとのびている。
 おそらくは水分を切らずに出された飲食店の生ゴミだ。
 魚かな。
 えらい臭い。
 ゴミ収集車の回転圧縮機に袋ごとつぶされて汁が飛び出したのだ。
 朝から怪物の血脂をあびた彼は今日一日その臭いとともに過ごすことだろう、の刑。




 新宿、おまえ相変わらずだな。
 と心でつぶやいた。








「お前もな」


 そう云われたような気がした。
 






 おつかれ。
 

 ☾☀闇生☆☽