壁の言の葉

unlucky hero your key

落ち武者に捧ぐ。

 後輩が禿げていく。


 まだ三十代前半であるのに、禿げていく。
 その生え際の戦況は連戦連敗。
 撤退につぐ撤退。
 無残なことになっている。


 彼の生え際が後退しはじめたのに気づいたのは、たしか去年。
 なぜか髪を伸ばしはじめており、
 メットを脱ぐたびに台風中継のアナウンサーのごとき荒れようとなっていた。
 それでかえって頭髪事情が際立って、気づいたのである。


 武士の情けよろしく見て見ぬふりをあたしゃ決め込んだのではあるが。
 いまや月代(さかやき)を剃った侍のごとき風情だ。
 まずは同期の仲良したちが遠慮がちにそれをからかうようになり。
 まもなく心ある大人たちの見て見ぬふりにも無理が生じるほど戦況は悪化した。年配者も当人の前で話題にするようになる。
 むしろ話題にあがらないほうが無理がある。
 当人もどうしてこうなったのかと狐につままれたような顔をして首をかしげておる次第で。
 そして意固地にも、その他の生き残りを伸ばしつづけるのであった。
 失ったぶんの兵をあらたに補填するのでもなく、
 敗残兵に撤退もゆるさず、
 ひたすら拠点を死守せよと檄を飛ばす。
 いや、
 戦況が好転してくれたらいいなあ、と現場ほったらかしで投げている。


 悪あがきだと思ふ。


 あがくのならば薄毛治療に通うか。
 あるいはいっそカツラにするか、肚を決めるべきで。
 ただそういったあがきが功を奏した例をあたしゃ知らない。
 剃るなり、刈り込むことでかえって印象を好転させた成功例のほうが多いとさえ思ふのだ。
 負けっぷりさえ潔ければ、それはむしろ男をあげるとうものではないか。


 しかも彼の髪の伸ばし方はテキトーだ。
 野放しだ。
 ぼっさぼさ。
 良きにはからえとばかりに放置した頭髪に耳がかくれるほどのさばられておりながら、その藪には空き地がある。そう、つるりとした月代だ。
 さながら落ち武者ではないか。
 有体に云って、なんか散らかっている。
 自棄(やけ)になっているのだろうか。男として。
 いや生来の無精、というよりも極度の消極性がゆえだとあたしゃ睨んでいる。


 なぜかというとその証拠に彼の前歯は全滅しているのであーる。 
 つらら状に溶けている。
 喫煙者なのでそのつららはヤニで汚れており。
 彼が笑えば、茶色い鍾乳洞が顔の真んなかにぽっかりと出現するのである。
 さすがに見かねて歯医者に行かないのか、と問えば
「いやいやいやいやいや」
 と少女のように恐れおののかれてしまった。歯の溶けた落ち武者に。
 そのうえ食べ物の好き嫌いが異様に多い。
 よほど大切に育てられたのだろう。
 そして人の好き嫌いも極端だ。
 ちょっとつっかかられだけで喧嘩もせずに会社を通して対象の人物をNGにしてしまうほどで。
 現場が重ならないように頼み込み、そして遭わないように、遭わないようにと逃げ続けている。
  

 さらには彼はいわゆるパチンカスでもある。
 バリバリの現役だ。
 先日はスロットだかなんだかで20万も儲けたとのこと。 
 ならばそれをもとに歯を治せとお節介を口にしてみたのではあるが、にべもなかった。
 溶けゆく口内事情にも、生え際の撤退問題にも、軍事的支援はするつもりがないらしい。
 先日は住民税の滞納通知がとどいたと嘆いていたが、20万はあらたな銀玉としてパチンコ屋へ返納されるのに違いない。


 若いのにもったいない、と感じてしまう。 
 歯が溶けようが、
 禿げ散らかそうが、
 パチンカスっていようが、
 いくらでもやり直せる年齢ではないのか。


 ついでに云えば彼は夜勤を選びながら免許もアシも持っていなかった。
 毎晩仲間に送迎されつづけて三年か。あるいは四年か。
 送ってもらおうという下心からアシ持ち先輩たちのイエスマンとして過ごしていた。
 決して自分からは頼まず、現場終了後はもたもたと着替えながら「送って行ってやろうか」の声を待っている。
 ベテランの嫌われ者ほど後輩からの人気を得ようと送迎に励む風潮があって。
 車中ではその先輩のこぼす愚痴と不平不満に作り笑顔で同調する日々。
 それでよろしいのですかと。


 自発的に生きてみませんか、と。 


 自分の日常の、ひいては人生の主導権は自分で握りましょうよと。 
 それをさんざんあたくしに諭されて、
 休憩中にバイクや教習所について検索し始め、
 やがて興味を持ち、
 気付けばあのバイクがいい、このバイクはダサいだのと御託をならべるようになり、
 どうにか免許を取ってバイクを買った。
 今となっては毎週末、横浜の友人に会いにツーリングしているという。 


 どうだ。


 日常が、生活の景色が、変わっただろうに。
 それも世界の変化なのだよ。
 変化させたのだよ。自分で。
 大きな一歩ではないの。


 しかしあたしに「云われたから」免許を取った。「云われたから」バイクを買ったなどといまだに口走る有様なのであーる。
 受け身の姿勢、山の如しである。
 なかなかにしぶとい。
 それも忠告しておいた。
 それは他人のせいにする悪癖ぞ、と。
 きっかけは他者からのアドバイスなり忠告なりであったとしても、自身にかかわる事の最終的な決定権は自分にあるはず。
 自分で選んだんだ。自分に責任を持てと。


 そして、思ふのだ。
 そこまでなのか? 落ち武者よ。


 彼は父親を四年前に亡くしている。
 それ以来自室のエアコンのフィルターを掃除したことがないという。 
 父の担当だったそうな。
 フィルターはすっかり目詰まりし、去年の夏からエアコンはさっぱり効かなくなった。
 されどフィルターには触れない。触れたくない。
「だってばっちいじゃないですかっ」
 この夏はネカフェで暑さをしのいだという。


 口ぐせが「絶対無理」。
 食べ物でも人でも、それで拒んでおしまいとする。
 それで許されてきたのであろう。
 子どもの頃から食卓に嫌いなものが並ぶと、顔を背けて口にしなかったという。
 嫌いなものを出した親が悪いのだ、と不貞腐れてその都度カップ麺を食べていた。
 それで許される家庭環境もアレではあるが、裕福ともいえるのかな。
 あたしゃ嫌いなものでも食べられるようになるまで親が辛抱強く付き合ってくれた。
 だいいち代りのものをすぐにほいと出せるほど裕福でもなかったと思ふ。
 喰わなきゃ飢えてしまう。


 こうして彼が三十路も過ぎてのうのうとしていられるのには理由があって。
 土地持ちの親許暮らしで家賃収入があるのだそうな。
 子孫のために美田を残さず、という言葉があったが、彼には親の遺産が約束されている。
 あたしの人生で二人目だ。親許で家賃収入があって、親が働いていないという子は。
 そしてふたりとも似ている。
 好き嫌いが極度に激しく、積極性が皆無で、掃除が嫌いで若禿げだ。
 禿げは偶然の一致だろうが、
 前職で出会った奴は野菜を一切口にしなかった。
 すき焼きだろうが、鍋だろうが、焼肉だろうが、それがたとえパーティであっても恥も外聞もなく口にするのは肉のみだ。
 例外として牛丼に混ぜ込んであるしなっしなの玉ねぎだけは「まあイヤじゃないっすけど」とな。
 野菜を徹底的に拒んでも許される家庭環境だったのであろう。
 そしてもうひとつ、二人には共通点がある。


 働く親の背中を見ずに育った。


 むろん、そういう育ちをした子がすべてこうなるはずはない。
 けれど、どうなんだ。
 どうなんよ?
 関係性は皆無とも云えないのではないのか?


 落ち武者くん。
 自身の現場では現在ナンバー2の立ち位置だ。
 ところがこの春からナンバー1つまりアタマ氏が別現場へと抜けてしまう。
 そうなると落ち武者くんが繰りあげとなってアタマを張るのがスジなのだがあ。
 それも「無理無理無理無理っ、ぜえーったい無理」と逃げている。
 三十代の落ち武者野郎が乙女のごときにいやいやをするのだ。
 困り果てた会社があたしにアタマを張ってくれないかと打診してきた。


 彼の人生についてあれこれ云うのは余計なお世話だろう。
 自覚はしている。
 んが、
 こうして周囲にも迷惑をかけることになるのでそうもいかんのだよな。


 戦わずして逃げまわる落ち武者よ。
 まずは髪を切り、
 歯を治し、
 頼むから男になってくれろ。
 人生はそれからだ。


 ☾★闇生☀☽
 

 追伸。
 周囲にもからかわれつづけ、本日やっと床屋へ行く決心をしてくれた。
 伸ばすにしてもだ、美容院で整えてもらいながらにしないと清潔感がないぞと忠告もしておいた。
 人生を投げるにしてもまだ若すぎる。