壁の言の葉

unlucky hero your key

『二十世紀の終わりの夏、私はこんな風に子供を産んだ』

 塔島ひろみ著『二十世紀の終わりの夏、私はこんな風に子供を産んだ』車掌編集部 読了
 西荻窪ニヒル牛にて通販*1購入。


車掌文庫シリーズ1


 タイトル買いして大当たり。
 妊娠から出産、そして育児の日常を、おそらくは時系列順に綴っているであろうことはタイトルからも読み取れる。
 んが、
 では育児How to 本のたぐいだろうと高をくくっていると、さにあらず。
 不意をうってすとんと振り下ろされる単刀直入な切り口。
 切れ味鋭い、わけでもない。
 鮮やか、ともいえない。
 格好もつけず、ときに薄情なまでにドライなようで、体温がある。
 これにやられる。
 病みつきになる。
 ときにその太刀筋に、文学が匂う。
 文学は、あるいは詩は、How to 本のような実生活の『為になる』箇所に宿りはしないのだ。
 

 この剣士、
 構えはあまりに無防備だ。
 手に、たとえば大根とかネギをもってふらりと立っているような。
 つまりが自然体で、
 あられもなくニンゲンで、
 それゆえ弱さまる出しにも見えるのだが、
 それこそが本当の強さとも言えるわけで。
 こちらが構えもしないのにぽかりぽかりと痛いとこ、くすぐったいとこを取っていく。
 大根で。
 あるいはネギで。
 こっちはもう笑うほか術がなく。
 おかしい。
 おかしい。
 何度わらっただろう。
 そして何度胸の奥にじんと火を灯されたことだろう。
 容赦のない人間観察もいちいち腑に落ちるし。
 といって社会風刺というような武骨な鎧を纏っているわけでなし。
 丸腰の己の弱さを自覚している者特有の強さと、毒。
 となると大概は居直った仁王立ちしたような文体になるものなのだけれど、違うんだなこれが。
 子や夫への愛も、ささやかな怒も憎も哀も、あけすけで心地が良かった。



 そうしてあたしゃいまや、この一家を愛おしく思ふのだ。
 三ブロックほど離れた電柱の陰から、こっそり見守っていたい、と。




 最後に思ふ。
 やはり匂ったと。
 匂ったのは赤子のうんこ、ではなく文学、というよりこれは詩だな。
 詩の匂う文章を、あたしは文学と呼んでいることにいま気づいた。


 
 





 他の著作も購入予定。


 
 
 
 
 
 
 闇生