壁の言の葉

unlucky hero your key

キライ。



 大事に育てられたのだなあと思う。
 嫌いなものを拒み続けても飢える心配がないという環境で。
 なおかつ母親もそれを克服させようとしなかった。
 嫌と云えばすぐ代りのものを出してくれたのだろう。


 世の中に絶対なものなどそうあるわけがない。
 ならば好き嫌いなんていうたかだか自分程度を尺度にするものなどあてにできるはずもない。
 所詮は曖昧な感覚にすぎないと思う。
 自分という存在を確固たるものにすることすら手こずるのが人生だ。
 であるのにその曖昧な自分が決定権を持つ『好き嫌い』など絶対であるわけがない。

 
 『好き嫌い』
 ともすれば『生理的に』などと箔をつけて否定や反論の余地を与えんとする。
 暗示を固めようとする。
 守ろうとするのだ。曖昧なる自分を。
 それこそが絶対ではないことの証左。


 それは事物さまざまなものに対しても云えるわけで。
 思想や人物、音楽やスポーツなどなど。


 タバコをやめる奴はアホと豪語し、
 スポーツやる奴もアホで短命とまで断言していた上岡龍太郎ですらあっさりと禁煙し、マラソンに耽った。
 思い込みや偏見を捨てようとしたのだろう。
 食わず嫌いではないかと己を疑ったのだろう。
 それは知性とは云えまいか。


 むろんアレルギーなどの問題なら話は別になる。


 彼。
 現場でもその好き嫌い症は激しく、
 ちょっと反発されたり、輩のような態度をされるとすぐ会社に連絡をしてNGを出す。
 そいつとはもう組まない、と。
 それを聞き入れてやる会社も会社だが。
 自分の問題であるのに自分で処理しようとしない彼も彼だ。
 喧嘩するなり、議論するなり、譲歩するなり、なんなりあるだうに。



 行く手を阻む壁にどう対処したか。 
 どうやって壊したか、
 あるいはどう迂回したか、
 目印しにしたり、
 もしくはそこに棚をつけて本を並べたり、
 花を飾ったり、
 窓を作って景色を愉しんだり、
 ドアをしつらえて他者を招いたり、出かけたり、 
 絵を描きつけたり、主義・主張を大書したり。
 そのやりくりこそが人の力だろうに。
 とどのつまりが知恵だ。
 思考停止して『厭だ』と騒ぐだけでは獣か幼児である。


 あるとき牛丼屋に入店して自分で空いている席を選んで座った。
 するとカウンターの上が汚れていたという。
 店員を呼びつけて『拭け』と。
 店員は卓上の紙ナプキンをとってその汚れをふき取った。
 しかしそのやっつけな態度が許せないという。
 自分で選んだ席である。
 高級レストランでもない、客の回転がものをいう牛丼屋である。
 店員の忙しさは想像に難くない。
 ごちそうさまー、と帰って行った席のトレイをとり下げたそこへ彼が自分で選んで座ったのに過ぎない。
 あたしだったら、まだ片付けできてないのだなと解釈して別の席をえらぶ。
 もしくは自分で紙ナプキンをとって拭く。


 お冷を出す時か注文を取りに来た時か、
 放っておいてもじきに店員さんが気づくだろう。
 汚れたテーブルに料理はださないだろう。


 だって牛丼屋だぞ。
 レストランや回らない寿司屋と違うぞ。


 とにかく『もうダメ』『絶対』『嫌い』が口癖だ。
 まずその口癖をやめろと忠告しておいた。
 聞かされるこちらにも言霊となって影響するから、やめてくれと。




 
 ☾☀闇生☆☽