壁の言の葉

unlucky hero your key

立って垂れる。


 歳を食ってからの謙虚は保険である、とは松尾スズキがどこかに書いていた。
 『こうべを垂れる稲穂』よろしく大成した人物が腰ひくく振る舞う。
 後輩にまで深々と頭を下げる。 
 そういう逸話というものはいつの時代でも持て囃されるもので。
 人はそこにある種の美しさを感じているのに違いない。
 その美は、敵意、害意、圧力、畏怖……といった緊張からの解放に依っていると思われ。
 それによって生じる安堵感はただちに敬意となり謙虚となって言動に現れる。
 連鎖していく。


 謙虚は護身という側面を持つ。
 しかしそれは結果のことであって。
 逆に、護身のために普段から謙虚を心がける。それが保険をかけるということだろう。
 しかしそれは自衛とも云えはしまいか。
 断じて保身ではない。
 いや保身として謙虚を使ってはならない。
 賤しいし、卑屈だし、そんなうわべだけの謙虚などすぐにボロが出るだろう。




 謙虚の保険は掛け捨て、と思え。




 それくらいが丁度いい。
 だいいちそうでないと、美しくない。


 護身とは自衛でもあり。
 自衛とは、他者との線引きをすることでもある。
 それは敵対でもなく、
 なれあいでもなく、
 自立した個人であることの表明だ。



 自立。
 そう、人は家族を持つことで大人になる、……場合が多い。
 それを世間では自立と見なしている。


 自立とは助けるべき・護るべき者を持つことであり。
 つまり溺れる人を助けるにはまず自身が自立して泳げる人でなければならないというやつで。
 迷える子羊を導く人が迷子であっては話にならない。
 また、そうして身につけた大人の風情にはこの『謙虚』という自衛が、つまりが保険が不可欠であり。
 謙虚の保険はこうして家族保険へと広がってゆくのであーる。




 むろん掛け捨てでいい。








 反面、いい歳ぶっこいての夜郎自大・やからは甘えん坊の子供だと見なすことにする。




 ばぶばぶ。



 ☾☀闇生☆☽