ふとこの曲が頭に浮かんだよ。
— Yamio (@Yamio42529836) August 5, 2023
皮肉なことに。
Theme From New York, New York (2008 Remastered) https://t.co/jSkkYi1CXf @YouTube https://t.co/GyoD6fIu2q
Shoplifters ransack a Lens Crafters store in San Jose, California while employees stand there and watch 😳 pic.twitter.com/SWTztnU4EV
— BAY AREA STATE OF MIND (@YayAreaNews) August 4, 2023
ここ数年アメリカの退廃を象徴するような動画が頻繁に流布されている。
フィラデルフィアの路頭に屯する薬物中毒者たちの映像は、実に悲しいものであった。
米国はその成り立ちが移民によるものなので『合衆』そのものを否定するわけにはいかない。
けれどだからこそ、その衆と衆の接点と棲み分け及び共生については不幸な人種差別時代もふまえた歴史的な経験値が豊富にあると、あたしゃそう思っていたのだがどうもそうではないらしい。
米国は銃社会と云われる。
それも建国の経緯を鑑みれば頷ける。
アイデンティティの根幹といってもいい。
なのでそう簡単に廃止できるものではない。
しかし心の銃はどうだろう。
実際の銃ではなく、他との分別としての武装。
価値の自衛。
同じ理念のもとに銃をとるのを同胞とすれば、心も同様に敵を同じくしなくてはならない。
その集合体として国があるわけで。
しかしながら国への忠誠を誓うことのない移民や机上でこねあげた珍奇な思想を無節操に受け容れつづけたらどうなるのか。
銃をむけるべき敵が、敵の顔をしていないのである。
受け入れた以上は敵ではなくなってしまう。
心の武装は、銃はどうした。
どうしたんだよアメリカ、と残念に思う。
米国の音楽や映画や文学は好きだけれど、政治はまた別。
と考えたくもなるが、実はどこかで必ず繋がっているというのは事実。
どうしたんだよ米国。
かつてあれほどまでガチで戦った仲じゃないか。
さんざんに俺たちを苦しめたじゃないか。
戦場では敵ながらあっぱれと認め合いもしたじゃないか。
勝った以上は背筋をぴんと伸ばしてしっかりしろ。
マクドナルドpic.twitter.com/eTN6hORYrl
— nobby (@nobby_saitama) August 5, 2023
強い米国が復活することを願っている。
☾☀闇生☆☽