壁の言の葉

unlucky hero your key

『once ダブリンの街角で』感想。

once ダブリンの街角で


『once ダブリンの街角で』DVDにて



 アイルランドの首都ダブリンのとある街頭。
 ギターを奏でて歌うひとりの男がいる。
 その使い古したエレアコのボディには穴が開いていて。
 どうやら長年のピッキングによって削れて開いてしまったようなのだが。
 昼はウケをねらって有名曲のカヴァーを。
 夜は書き溜めてきたオリジナルを歌って日銭を稼いでいた。
 ある日、とおりすがりの花売りの女が、そのオリジナルに耳を奪われる。
 女は男に興味を持ち。
 聞くと、男は掃除機の修理屋ではたらきながら、歌いつづけているとのだいう。
 ならばと彼女は自宅の掃除機の修理を男にたのむのだ。
 それをきっかけに近づいていく男と女。
 彼女もまたピアノを弾き、歌うことを男は知る。
 彼女の歌と曲に心をひかれた彼は、一緒にバンドを組むことを思いつく。
 こうしてふたりは意気投合。
 共に曲を作り始め。
 男は、去って行った恋人への未練に苛まれつつ。
 女は、別居中の夫を想いながら詞を書き、歌をつむぎだしてゆくのだった。


 予告編はこちら。
  ↓
 http://youtu.be/I6xIF92OUos



 以下、ネタバレで。






 設定として、花売りの女というのが、おもしろい。
 いまどき花売りである。流しの。
 若い女が「花はいらんかえ〜」てな感じで都会の雑踏を歩いている。
 そこにまず、作り手の意思表示があると受け取った。
 この映画を現代のおとぎ話的に物語ろうという決意ね。
 その一方で、男の職業である掃除機の修理屋というのもおもしろい。
 なにもそこまでピンポイントな専門職というのも、どうなんだ。
 電器屋ではだめなのか?
 ダメなのだ。
 ひょっとしたらダブリンには、流しの花売りも掃除機の修理屋も実在するのかもしれない。
 んが、
 少なくとも、現実とちょっとだけズレた他者の世界という意味での『異世界』を演出するのには、効果的ではあったと思う。
 他者の世界ということでいえば、女がチェコからの移民であることも重要で。
 同じ街に住みながら、彼らは独特のコミュニティを形作っていることを、男は知ることになる。
 彼女のアパートにしかテレビがないという理由でずけずけと上り込んでくるご近所さん。ソファを独占し、平然とテレビ観賞をおっぱじめよる。
 その彼女の家には電話が無く。
 英語が通じない者も珍しくない。
 やがて、男はチェコ人たちのパーティーに混ぜてもらうが、言葉が通じないために、さながら自分の方が外国人になったような感覚におちいるほどであった。
 しかしそんなちっぽけな壁も、結局は音楽がつき破って、いとも簡単に打ち解けてゆくのだが。


 物語の方向は、大方が予想する通りだろう。
 メジャーデビューを夢見るというやつね。
 けれど、この映画の心憎いところは、それをスポ根的にあおらないところだ。
 白熱のオーディション。
 のちにデビュー。
 それがヒットしてツアーを始めて、
 なんていう汗と涙がほとばしるようなのはやらないの。
 一貫してドライ。
 山場といえばオーディション用のデモテープ制作なのである。
 シン・リジーしか演らないというストリート・バンドに声をかけ、スタジオのレンタル代は銀行からの融資にたくして、彼らはたった一夜のレコーディングに挑むのだ。
 そして、
 もうひとつ重要なのは、この男女が結ばれないという点。
 こちらも同じく汗と涙がない。
 ささやかな恋心は、あくまでほのかな恋として、通り過ぎてゆくのみ。
 バンドのサクセス・ストーリーと恋愛はシンクロさせたがるものだが、この映画は双方に距離を置くのだな。
 この距離感がまた絶妙で、
 してそれがために鑑賞後には、爽快でやわらかな風のなかにいるかのようだった。
 そんなものだよね、出会いって。と笑う。
 胸のそこでちりちりと泡立って、
 しゅんとはじけて、瞬く間になくなってしまう。
 その感触だけをのこして。
 そんな出会いと別れの普遍性を狙ったのだろう。
 この男女に名前が無いのは。
 エンドクレジットはそれぞれguy、girlであった。


 その昔、有名な映画評論家のキメ台詞にこんなのがあった。
「いやあ映画って、ほんっとに素晴らしいですね」
 そこへいくと本作を観終えてみれば、
「〜音楽って、ほんっとに……」
 もとえ、
「歌って、ほんっとに素晴らしいですね」
 となるのだ。


 ついでながら、この二人。
 特に主演のGlen Hansard。
 あまりに歌声がいいのでつい勘ぐってしまった。
 つまり、役者が歌手を演じているのか、
 はたまたミュージシャンが演技しているのか、と。
 観賞後に検索してみたらgirl役のMarketa Irglovaも、共にミュージシャンなのね。
 ばかりか、
 Glenの生い立ちはこの映画と重なってもいて。
 ストリート・ミュージシャンとして音楽活動を始め、
 のちにMarketaと出会ってアルバムを共作し、交際に発展しているから、この映画は現実での彼らのストーリーをもとに作ったかのよう。
 監督・脚本がGlenの元バンドメンバーだというから、おそらくはそうなのでしょう。




 最後に、箇条書きにつらつらと。

○融資を乞いに訪れた銀行の頭取。
 デモテープを聴かせると、つまらなそうにしていたが、その後の反応に爆笑してしまった。


○シン・リジーしかやらないバンドって。


○最初は馬鹿にしていたレコーディング・エンジニアが、演奏を聴くうちに態度を改めていくあたりは、ベタだが、ゆるす。
 彼の言うカーステ・チェック。
 完成間近の音源をカー・ステレオでならしてみるというやつ。
 その昔モータウンは、ラジオのスピーカーでならすと丁度いいように音作りしていたという。そんなわけで、あのちんこいスピーカーでもベースが鳴るようにと、強調された。
 そこへゆくと90年代は、あれだよね。CDラジカセのデカいやつ。
 小室とかは、そういう計算だったのか。
 吉田美奈子飯島真理のプロデュースをしたとき、ボーカル・チェック用のモニターとして、やはりちんこいのをスタジオに持ち込んでいたっけ。
 音量でごまかされるからと。


○どうでもいいが。
 元カノとの思い出として仲睦まじいころに撮ったプライベートビデオが流れる。
 こういうのって、いつもうまいなあと思う。
 日本映画に出てくるこの手の演出ってなぜか下手なのね。
 北野武の『Dolls』のなんて、目も当てられなかった。
 状況設定が明確になっていないのだと思う。役者も。演出家も。


○バイクの二人乗りのシーン。
 走り出したときに、後ろに乗ったgirlの左足がカクカクカクとふるえるのが可愛い。
 武者震いと言おうか、
 貧乏ゆすりと言おうか、 あれ、演出だとしたら、すごいね。
 アドリブだとしても、素敵だ。
 あれだけで心理があらわれているもの。


○全体にMarketaの天然ぶりがいい。
 ドライな可愛さに溢れている。
 掃除機を、まるでリードをつけた犬のように曳いて街をゆく姿は、おもろい。
 悲しげな場面で、むくむくの部屋履きのまま街を歩くのも、ふぁんきー。


 最後に、
 家を出てロンドンに行くことを息子に告げられた父。
 それを許せばこの先、ひとりぼっちで老後をすごすことになる。
 それを覚悟で息子の背中を押す言葉の強さが、胸に残った。






 ☾☀闇生☆☽


 言い忘れた。
 いい曲が多いです。
 耳に残ります。
 音の補強を極力控えて、
 貧乏バンドらしくアレンジしたのは正解でしょう。
 メインの曲もいいが、
 カシオトーンみたいなちっちゃなキーボードをつかった曲がかわいいよ。
 サントラを買いたくなる人も多いはず。