たとえばセロニアス・モンクの名曲群に歌詞をつけて歌う。
その行為は、ひとつの勇気だろう。
どれもインストとしてすでに世に広まっているものばかりであるから、なおさらである。
しかしジャズというものの性質として、勝手知ったる流行歌でどう遊んでみせるかという、そこを聴かせどことして来た歴史があるわけで。
建前として、
歌モノであるべき。
という理想がある。
と思いたい。
して賄い料理として、通をうならせるそれらのインスト版があり。
というのも、
映画『ラウンド・ミッドナイト』でのひとコマが脳裏に強く残っていて。
老いさらばえたジャズスターの役を、さながら自身もしくは他界した旧友たちを代弁するかのように御大デクスター・ゴードンがそれを演じているのであるが。
脚本家のセリフか、
はたまたデックス自身の言葉を取り入れたのか、判然としないセリフがそこかしこにあった。
スタンダード曲『オータム・イン・ニューヨーク』のメロディをテナーでなぞり始めた彼。しかしふと演奏をやめてしまう。
そしてそばにいた友人に言うには、こうだ。
「歌詞が思い出せないから、吹けない」
そこで教えるように友人が歌詞を口ずさんでやると、デックスは子供の頃の学校の帰り道を思い出すように、まずは恐る恐る確かめるように。次第にのびのびと演奏を展開してゆくのだ。
曲を演奏するだけなら、あれだけインストとして広まった曲である。歌詞など、知らない人の方が多いのだろうし、知らなくても演奏はできるのではないだろうか。
できるだろう。
けれど、嗚呼。
バラードとは本来そういうふうに演奏すべきものなのだなあ、と感心したし教えられた気がしたのだ。
もっといろんな人が歌いつげばいいのに。
歌にすることによって、
肉声とプレスがメロディの美しさを際立たせる不思議。
日ごろインストで聴いているときとは見違えるような新鮮味があーる。
カーメン・マクレエのモンクへの愛情にあふれているのが、うれしい。
むろんスタジオ盤も愛聴しております。
現場から東海林のり子がお送りしました、
とか言ってはいけません。
☾☀闇生☆☽
今日の夜勤は雨で中止。
こんなの聴きながら、すごしませう。