審査員が挑戦者に背を向けて合否をくだすBlind Auditionが売りの『 The Voice』。
そのUK版の今期の配信がはじまっておるわけですが。
前にも書いたけれど、やっぱあれですな、定着してスタンダードを獲得した文化というものは、強ひ。
今回も往年のロックの名曲をつかう挑戦者が複数おりまして。
AC/DCの『Highway to Hell』だのFREEの『All right now』だのと。
そーゆーのをみんなが共有しているのが羨ましいっす。
たとえば日本でははっぴいえんどが日本語のロックを確立したとはいう。
んが、彼らの曲の知名度ってどの程度なのかね。
『風をあつめて』ならソフィア・コッポラの映画で聞いたとか、その程度かね。
ミカ・バンドの『タイムマシンにお願い』ならアニメに使用されたから、とか。
結局のところロックという表現様式は、我流にアレンジして市民権を得たものの、文化としてはいまだに借り物のままなのではないかなと、思ふ。
万人が知るスタンダードなりクラシックとよべるようなものをあたしらは生み出せなかったのではないかと。
簡単に言うとファン以外にまで知られて、時間の淘汰にたえうるモノとしてね。
そこいくとまだ四畳半フォークのほうが浸透はしたということだろか。
いやいや、
『あたしら』も『君ら』なく、ロックは国境を越えてみんなの云々、という言いようはあまりにも空々しく。
自他の文化のその構造の基礎をほじくりかえしてみれば、その地の宗教や神や自然環境や文明が基礎そのものだったりするわけであり。
神があり、教会があり、12音階があり……。
有体にいえばお里が知れるわけね。
シェークスピアの名セリフをそらんじられる人は彼の国には当たり前だが、わが国で近松門左衛門の科白を口ずさめる人は、どれほどなのと。
あそうだ。
アル・パチーノが作った『リチャードを探して』という半ドキュメンタリー映画のなかで、街なかで手当たり次第にシェークスピアについて質問していくシーンがありますな。
もっともあれは米国でのことですが。
普通にいましたよ。
シェークスピアについて語れる人たちが。
んで今後は、
風においたてられた落ち葉たちが散って舞って隅へすみへと掃きよせられていくかのように、
相対化の追い風によって文化はよりマイナーへ、よりマニアックへ、より個人的なところへと向かう見込みであり。
あたしらはメジャーというものを共有しにくくなっていくと。
それはむろんロックにかぎらずのことで。
それを不幸とみるのもまた傲慢というものだろうが、有るものが無くなっていく、というのはあれですな。
さびしーですな。
共有できるスーパーヒーローやヒロインを持てなくなるのは、共通言語が減っていくようなものですから。
たとえ話ひとつするにも、引き出しが使えない。
おじいちゃんロッカーと孫ロッカーがギターひとつでヘッドバッキングしながらデュエットできるような曲が出ない。
べつにロックでなくてもいいのですがね。
テクノでも。
映画でも。
メジャーあってこそ、マイナーが映えるし「あたしのものっ」的しあわせがあるというものでね。
うん。
だもんで、The Voiceの日本版の実現は難しいのだろうなと。
同世代の一部にしかわからない曲では、視聴率という最大公約数は見込めない。
ちなみに、
おなじみの審査のあいまのひとコマ。
段取りはしてあったのかもしれないけどね。
そういう勘ぐりは野暮てんというもので。
↓
Tom Jones Performs 'It's Not Unusual': Blind Auditions | The Voice UK 2018
☾☀闇生★☽