壁の言の葉

unlucky hero your key

お月見。

考えるヒント 小林秀雄




 小林秀雄の『考えるヒント』(文春文庫)に「お月見」という文章があって、
「知人からこんな話を聞いた」
 そう断ったうえで、以下のようなことを述べている。
 京都の嵯峨。
 夕刻から野外で宴をはじめた。
 それがたまたま十五夜にあたったので、野外での酒盛りはやがてお月見となる趣向であった。
 集まったのは若い社員ばかりで、いまどき月見などという風流には興味のない連中ばかり。
 情緒なんぞなんのその。
 宴は華やいだのだが、話しの合間にだれかがふと山のほうに目をやる。
 と、つられて他の連中も目を向ける。
 皆、心のどこかでは、知らずに月の出を待っているらしい。
 そこへ満を持して山の向こうにお月様がのぼると、もう、全員の目がそこに集まって、話題はそれに集中した。
 座の空気は、お月様で一変した。
 たまたま同席していたスイス人たちが、これに驚いた。
 今夜の月はいつもと何か違うのかと。
 小林は、スイス人だって自然の美しさを理解しているだろうし、お月見という日本の習慣を説明すれば、納得したに違いないと。しかし、心の深みでは、自然についての感じ方が私たちときっと違うはずだと云う。
 これは昭和三十七年の朝日新聞に載った稿だそうな。


 スイスは知らぬが、外国の音楽には月の情緒あってこその曲想が少なくないから、確かに、それ自体は、国を越えて共有できるものなのだろう。
『Fly Me To The Moon.』
『Moon River.』
『Moonlight Serenade』
 ベートーベンの『月光』。
 はたまたドビュッシーの『月の光』など。
 けれど、その質が違うぞと。
 良し悪しではなく、質が。


 矢野顕子がCHILDREN IN THE SUMMERという曲をN.Y.でレコーディングしていたときのこと。
 曲の頭に夏らしいS.E.(効果音)を付けようと考えた。
 日本なら風鈴や、蝉といった音の素材がすぐに用意できるのだが、そこは米国。
 まず蝉の音を、と注文すると、スタッフが怪訝な顔をする。
 N.Y.では蝉の鳴き声は騒音でしかないと。
 その音に風流はないと。
 

 なるほど、鈴虫の鳴き声を鑑賞したり、ヒグラシの声に物悲しさを感じるのは、この国ならではの情感なのだろう。
 となると、


 静けさや 岩に染みいる 蝉の声


 このあまりに有名な芭蕉の句も、この風土に培われてきた深山幽谷への憧れがあってこそ、なのだろう。
 細野晴臣のアルバム『omni sight seeing』に「Korendor」というピアノ曲がある。
 月の裏側に古きよき日本の田園があって、その只中でアンドロイドがひとりピアノを弾いている。そんなイメージで作られた曲だという。
 S.E.は蛙の合唱と、たしかコオロギなどの夏から秋にかけての虫たちの声。
 古びたピアノのワルツに、さながら消えかけのホタルの明滅のような、儚い雅楽の調べが点って。
 秋の匂いが深まっていくこの季節、夜中にふと目を覚ますと、闇生は虫の音にこの曲を思い出すのである。
 そこでふと思い出したのだが、このS.E.に鳥獣の声をつかうという手法は、細野が敬愛したマーチン・デニーのトレード・マークで。
 エキゾチック・サウンドとか、ジャングル・サウンドとか呼ばれた彼の音楽は、当時の米国人にとっての謎めいて妖しげなアジア観を、十把ひとからげにしてのけたものだった。
 言ってみりゃ、ハリウッド映画に出て来る変な日本人。あれみたいなもので。
 それは、偏見と憧憬の中のアジア。あるはずのない、いや、あってほしいアジア。ようするにファンタジーなわけで。いわば無国籍。
 そこに面白みを感じた日本人・細野が、有名なトロピカル三部作を作り、のちにそれをコンピューターで再現してあのYMOに結実したという次第。

 
 マーチン・デニーは米国人で、元はといえばジャズ・ミュージシャンである。
 それがハワイに移り住んで、そうなったのだ。
 曲のあちこちで聞かれる鳥獣の雄叫びを、彼はどんな情感をもとに配置したのだろうか。
 ハワイの風土がそうさせたのか。

 
 黒澤明の晩年に『八月の狂詩曲(ラプソディ)』という小品がある。
 ここに印象的なお月見のシーンがあった。
 月の下には日本人と米国人、二人きり。
 一方は、被爆した老女(村瀬幸子)。
 他方は、その原爆を落とした国の青年(リチャード・ギア)だ。
 青年はハワイの住人で、その祖父が日本人だという。
 彼は祖父の家族を探して来日し、被爆者のおばあちゃんと出会う。
 祖父はこのおばあちゃんの弟で、戦後の混乱で生き別れになっていたのだ。
 よって青年は甥であることが判明する。
 おばあちゃんと青年。ふたりは満月の下で静かに心を通わせる。
 青年は原爆を詫び、おばあちゃんは謝意を、つたない英語で伝えるのだった。


 この、原爆を詫びるシーンに、当時アメリカのマスコミが噛み付いた。
 巨匠黒澤ともあろうものが、と。
 無粋この上なし、である。
 と考えつつ、あらためて思い出せば、あのシーンを満たしていた感動は、月の光による情感あってのものだったと気づく。
 投下した当人でも軍人でもない米国人が、原爆を謝ったことだけに感動したのではなかったはずだ。
 理屈はつけようと思えば、いくらでも用意できるが。
 丸いお月様の下に国籍の違う二人。それが重要なのだ。
 決して、「国籍を超えて」であってはならない。
 違う国籍のふたりが、同じ月の下、よしみを深めている。そこだ。
 しかし、映画にこめられた月の魔術は、国を超えられなかったようだ。


 晩年の黒澤作品は、往年のそれのようなエンターテイメント性は、薄まっている。
 それだけに手放しでは推薦しにくいところがある。
 それはもう、仕方が無い。
 しかし、シーンのイメージは、ときに鮮烈だ。
 この月見だけでなく、中盤に登場するジャングルジムのくだりだけでも、あたしゃ鳥肌が立ったよ。

 
 小林秀雄の文章にもどる。
 意識的なものの考え方が変っても、意識できぬものの感じ方は容易には変らない、と小林はいう。
 新しい考え方を知れば古い考え方を侮蔑でき、逆に古を侮蔑すれば新しきを得られる。なんてのはどだい無理な話で。私たちには感受性の質を変える自由はないと。皮膚の色を変える自由を持たないように。我々が確実に身体でつかんでいる文化とはそういうもの。

 
 それは計画性や「改革」の連呼、はたまた「チェンジ」のキャンペーンなどでは変えられないことは、どうやら確かなようで。






 9.11に、相容れない二つの文化・文明を思いつつ、つらつらと。


 ☾☀闇生☆☽