桜にもっとも似合わないのが、例のブルーシートだ。
花見だの、月見だの、雪見だの、
はたまた紅葉狩りだの、鳥や鈴虫の鳴き声音を競うだの、
果ては屁のこき分けを楽しむだの、勝負するだのと、世界にも稀な、多様でデリケートな感受性をもつ国民性だというのに、それをあの青いシート一枚でぶっ壊すんだから、こまったちゃんである。
自覚されたパンクでないだけに、厄介なのだな。
有体に言って、ダサい。
こうなると『長屋の花見』に描かれる毛氈のつもりで使った『むしろ』の方が、よっぽど味わい深くはないだろうか。
なんかね、
えらそーにのたまうならばね、
桜や四季折々に対する「お邪魔しま〜す」の精神が欠けてるよね。
あのブルーから立ち昇っているのは「俺が、俺が」の臭気。
いや、瘴気。
近年、桜を扱ったヒット曲が少なくないが、あのブルーシートは無かったことになっているのではないだろうか。
歌詞はむろんPVでも、無かったことにされている。
当然である。
客観的に向き合えば、あれほどおぞましきものは無いのだから。
ブルーシートを敷いた『つもり』、
カラオケを使ったつもり、
熱唱したつもり、
酒飲んだつもり、
肉をじゅーじゅー焼いたつもり、
食べ過ぎてげっぷぅ、となったつもり、
飲み過ぎて、笑いすぎて、へとへとになったつもり。
それを分かち合う異性や友がいたつもり……。
離ればなれの仲間が、
先に死んだ親が、
子が、
早世した兄弟が、
別れた恋人が、
恩師が、先輩が、後輩が、
そんな彼らと和気あいあいと盛り上がったつもり……。
と、せめて『つもり』づくめのエア花見で、いかうぢゃないか。
追伸。
ブルーシートて『現場』って感じしませんか。
工事現場はむろんのこと、殺人事件の現場検証の目隠しとか。
なんかアレ=『現場』のイメージなのだ。
むろん花見も『現場』には違いないのだろうけれど。
やっぱ桜に合わねえよなあ。
……ゴミ、散らかしたまま帰ったつもり。
☾☀闇生☆☽