予定の夜勤が、昼過ぎに中止となってしまった。
実際は中止ではなく、他の隊員が配置のニンゲンあたりに談判して無理やり入りこんだのかもしれない。
あたしゃ、あぶれちゃったのかもしれない。
年度末を過ぎて現場が減り、喰いぶちを求めた奪い合いが始まっている。
折り良く旧友からメール。
飲みへのお誘いである。
ありがたし。
ならば今夜にしよう。と持ちかけるとあっさり受け入れられた。
彼は神楽坂で仕事中。
19時に三茶で待ち合わせる。
南武線を使い『溝ノ口』で東急田園都市線に乗り換える。
彼お気に入りの近くの居酒屋に。
ちょうちんの看板に、黒々と燻して磨いた分厚い木造りの調度。
がらんとして、他に客はボックス席にひと組。
やたらでかい声でケータイを使うグラサンの坊主男、在り。
心密かにジョンナムと命名す。
彼らを背にしてカウンターに陣取ることに。
「女のコ」の手配がどうの、レベルがこうの、質がなんたらと、坊主の野郎。煩いったらない。
なんなんだこの顕示欲は。
話から察するに「女のコ」とはいわゆるコンパニオン嬢か何かで、彼は幹事かイベント屋なのだろうが、同じテーブルについた舎弟だか後輩だかのツレはほったらかしにされて、独りどよ〜んとしていた。
心中察して同情す。
美味くない酒に違いない。
こっちゃ聞きたくもないのに「女のコがあ」「女のコをお」と、選挙演説でもされているような気分になった。
どうか皆さまの清き「女のコ」を……。
久方ぶりの本物の『ビール』を味わいつつ、頭の隅でこの逆のパターンを想像する。
いわゆる女子会というやつに、幹事が「男のコ」の手配をして。
レベルが、質が、と口角泡を飛ばす勢いで居酒屋から「注文」している女、の図。
あな恐ろしや。
と思ってしまうあたり、まだまだ「女のコ」ほどには「男のコ」の商品化は進んでいないのかもしれない。
少なくとも現場から仕出し弁当でも注文するような、十把一絡げのセット売り的な扱いは、されてないよーな。
ううむ。
まだまだか。
なにが、まだまだなのか。
平等ではないぞ。
ジョンナムの無差別顕示欲を背に、友の話を聞く。
話す。
酔う。
はて無差別とは、
とどのつまり平等ということなのか。
無差別テロは、平等テロなのか。
酔う。
高校からの付き合いの友との会話は、昔から変わらない。
YMO、VAN HALEN、ZEPPELINあたりを核に、彼らの偉業を再確認す。
良く言えば「ブレない」というやつだろうが、悪く言えば、そう、
「成長がない」
これをあえて、
「老いない」
そう言い換えよう。
女衒坊主たちが去り、
変わって常連らしき落ち着いた一人客がボックス席におさまっている。
暇を持て余した亭主が話相手になってやっている。
女房らしき看板『娘』は、カウンターの隅っこで週刊誌を熟読。
この、深夜の退屈感、あたしゃ嫌いじゃないのだな。
芝居でも始まりそうな……。
ラガーをそれぞれ4本ずつクリアしたあたりからグレープフルーツ酎ハイにスイッチす。
いや6本だったか。
相方は芋焼酎のお湯割り。
刺身、やっこ、ポテサラ、梅もろキュー、肉野菜炒め、着々とクリアしていくふたり。
方や日夜数十億の取引をするスーツ野郎で、方や日給一万円足らずのガードマン。
誰ぞ知る。
ビールも酎ハイも、このどちらに飲まれようが翌朝にはただのしょんべんだし、刺身もやっこも肉野菜炒めも、ほぼほぼ純性なウンコだろう。
人はその貴賤に関係なく、御馳走もジャンクもことごとく平等にうんこにしてしまうのである。
なんと残酷なことか。
平等を強いるとは残酷な行為なのだ。
ならばうんこにしてみれば、
いや、うんこの立場を考えてやる義理はないのかもしれないが。
いや、かもしれない、ではないのだが。
それ以前に、うんこに意識なんぞがあってはたまらないのだが。
仮にだ、自分が一塊のうんこだとして。
酔う。
話す。
聞く。
「仮にだ」もなにもないだろうがっ。
なんだ「うんこだとして」とは。
けしからん。
んなこたどこ吹く風で、看板娘はひとり週刊誌を読んでいる。
☾☀闇生☆☽