ジャン=ピェール・ジュネ監督作『ミックマック』DVDにて。
どこの大衆食堂にもある定番メニューではなく。
ましてやファストフードあるいはコンビニのそれのように、平均的な不特定多数を仮想して作られたご飯でもない。
ちんまりとした個人の専門店で食す、創作料理といったところであろーか。
認知された飯ありきではない、店もしくは料理人ありきの飯。
この人の作ったご飯が食べたーい、
この店で食べたーい、と。
で、そんなかたにこそ食べてもらいたーい。
そういう引力で、できている映画と考えていいだろう。
とりわけて言うならば、この監督の代表作『アメリ』以前の作風を『愛しく』感じる人には「ジュネさん。お帰りなさい」な気分で愉しめるに違いないのだ。
かつて『アメリ』の感想でも書いたと思うが、あれを境にさながら童貞を捨てたかのようにこの監督、作風が変化した。
感覚的には「開いた」映画になった。
しかし、彼の真骨頂はオタク然とした「閉じた」一面にこそあったはず。
その核だけは、今後どんなに開いても大事にしておいてもらいたい、などとこの闇生、勝手な望みをもってもいたのだった。
「童貞のままで居てね」
なんという身勝手か。
しかし、そうはいっても、一旦開いちゃったものは、閉じられないわけで。
知ったことを、知らなかったことになんて、そうそうできるもんじゃーない。
酸いも甘いも噛み分けて、清濁併せのんだり吐いたりの挙句に社交的になってしまったキョージュが、今さら『千のナイフ』の頃のような「閉じ」て鬱屈した暗さを再現できるはずもないよーに。
ミックマックとはなんぞや。
解説によれば「幸せないたずら」とのこと。
有体に言えば『キューピッドの矢』の精神ではないだろうか。
そう。このいたずら精神こそが、ジュネらしさなのである。
のぞき、
盗聴、
家宅侵入、
窃盗。
こう書くと物々しいが。
問題解決のために犯されるこれらの罪は、本編中、どれもかわいらしく演出される。
さながらいたずらっ子キューピッドがダフネとアポロンそれぞれに『嫌いになる矢』、『好きなる矢』を射ったように。
所詮は童心のいたずら心で放った矢だったに違いない。
しかしダフネは死してなお貞操を守らんと月桂の樹に変身し、アポロンはその枝を冠にしてまで永久に適うことのない恋の虜となるのを誓うはめになる。
そう。
ここでのいたずらは、復讐であった。
(キューピッドの矢は、軍神アポロンにその小さな矢を小馬鹿にされてのことだった)
以下、ネタバレ。
ひょんなことであたまに銃弾を受けた男が、大砲男やからくり職人、測量女、軟体女などキャラ立ちした仲間たちと力を合わせてする大復讐エンターテイメントなのであーる。
なんせ規模がデカイのよ。
中東の紛争地域での地雷撤去作業中に死んだ父のための復讐。
その武器メーカーを、ドタバタいたずらのオンパレードでとっちめるのだ。
あたしゃ上記で「お帰りなさい、ジュネ」と書いた。
んが、おそらくはこの「反戦」っぽいところが『アメリ』以降に強調され始めた彼の特徴かもしれない。
彼のマニアックでいじわるな童心に馴染んできたファンには、そこに鼻白む思いをする人もいるだろう。
童心には、反戦も好戦もどこ吹く風だろうに。
ただし終始ブラックな笑いに包まれているだけに『風刺漫画』のような仕上がりにはなっていた。
それを『説教臭さ』と受け取るかどうかは、受け手次第でしょーな。
結果的にスケールはそこまで拡大するのだが、それでもジュネ特有の『箱庭感』は保たれたと思う。
あの、ジャンクであふれた、ごちゃっとしたおもちゃ箱のような。
追記。
主人公と軟体女の恋に対して、恋にあこがれる測量女の仕草が可愛い。
役者たちはジュネ映画なじみのレギュラー陣でござった。
予告編で、その雰囲気に惹かれたなら試してみては?
ハンガーのダンス。
とそれを慈しむように眺めるからくり職人。
この一瞬のためだけでも観たかいがあった。
うっとりするほどだね。
☾☀闇生☆☽