今年の渋谷のカウントダウンは、現場への移動中のことであった。
あたしのつく現場は、そのお祭り騒ぎの熱が冷めるのを待ってのスタートだ。
なんでもコカ・コーラのイベントがあったそうで、少し早めにあたしが現着したときにはPAやら照明やらの業者が撤収作業に大わらわであった。
しかしまあ、あの人たちってなんでいつも偉そうなんだろね。
第三者に対するスタッフの対応を見ていると、クレームの少ない環境で育っているのだろうな、と感じる。
あれに比べると工事現場の肩身の狭さってなんなんだろうと思う。
そう。あたしら大衆は有名人を神輿に乗せたイベントに弱いのだ。
赤いシルクハット型の帽子を得意げにかぶった人たちが行き交う駅前。
そのイベントで配布していたという。
人波を見るに、年々外国人が増えている感触がある。
いまや世界的に有名になった日本の文化のクレイジーな一面を堪能しようというのだろう。
観察すると彼等には二種類あって、阿呆空間を共有せんとして躍りにきたアクティヴなタイプと、あくまで観る阿呆として楽しんでいるタイプ。
躍る阿呆に観る阿呆! 同じ阿保なら踊らにゃ損々!
むろん日本人も同じ穴のなんとやらであった。
騒ぎたい。
何か起こらねえかな。
という期待感が通りのどこかに常にわだかまっていて、火種を待っている。
とりわけ一人で参加した人は、狂宴のおこぼれを探して長く徘徊を続ける。
仕事としてこの騒ぎに付き合うあたしの立場としては、例年のような音楽で地鳴りをおこすような車がないぶんだけ、落ち着いていられた。
しかし毎度思うのだ。
これほどの集客力のある街なのになにゆえトイレが少ないの? と。
騒ぎの巻きぞいを食らうのは御免とばかりに早めに閉店する店が大多数なのも何だけれど*1、さしあっての問題は排泄の方だ。
酔うにつれ、夜が更けるにつれ、男たちは千鳥足で路地裏に立ち寄っては壁ドンスタイルで立ちしょんをしていく。
酷いのになると、店の壁にダイレクトにぶっかけていく。
すぐそばを女性が通り過ぎようが知ったこっちゃない。
てか、そんなこと言っちゃおられない。
排泄物を貯蔵する堪忍袋の容量自体には男女差はそうないはずであるからして、女性たちはどうしているのかいつも気になっていたのだが、同僚たちはやはり物陰で済ます女の子の集団を目撃したという。
今年はあたしも目撃してしまったよ。若い女性の二人連れがあたしのポジションの目の前の柱のかげで座りしょんべんしよったのを。
しかも駅前だ。
終夜運転だから、駅は朝まで開いてる。
にもかかわらず現場は店舗の敷地内で。
通りから見えないように柱に隠れたつもりであろうが、
頭隠しておケツ隠さず。
おケツだけがあたしに正対していた。
しかもよりによって風上をとられているではないかっ。
不覚。
ハッピーニューイヤー!
と夜通し叫んでは飲み、飲んでは叫んでひたすら摂取しつづけたアルコールがいま、浄化しきれぬままに、排水されていく。
怒涛の水勢は幽かな湯気をのぼらせながらゆるやかな傾斜をたどり、枝分かれを繰り返しつつこちらに接近中だ。
パンツをずり上げながらその行方を見届けた女は、そこで初めてあたしらの現場から見えていたことに気付いたようではあったが、知ったこっちゃないの風情。「 でさー 」とおしゃべりを再開して立ち去ったのであった。
配布されたコカ・コーラの赤いシルクハット。
捨てるタイミングを逸してか、朝までかぶり続けている人が大勢いた。
あれ被ったまま電車で帰るのだろうか。
はたから見ているとちょっと間抜けで、ちょっと哀しい。
では、
今年もよろしく。
闇生
*1:実際、開いてる店はないかと何人もの外国人に聞かれた。