緊急事態宣言下
真夜中
郊外
公園。
スーパームーンだとかなんだとか。
そういや『 お月見 』という慣習が、もはや慣習になっていないのではないか。
お花見は自粛を呼びかける必要性が議論されるほどだが、お月見に関しては自粛云々を聞かない。
お月見は日本発祥ではないのかもしれない。
んが、
そこに美を感じる感覚が日本人独自のものだとかなんだとか。
たしか小林秀雄の本にそんな意味のことが書かれていた記憶があり、その感想もはるか昔にここに書いた。
yamio.hatenablog.com
ドビュッシーには『 月の光 』という名曲かあり、
またベートーベンにも『 月光 』という代表曲がある。
ジャズ・スタンダードにも『 It's Only a Paper Moon 』があるし。
なので、月になんらかの感情を抱くことは、外国にもあると思われる。
けれど、月を愛でつつお供え物して、みんなで集って団子やお酒をいただいくという風習は、日本だよねえ。
お供えものですからね。
歌もうたったろうし。
句会なんかもあったろう。
絶やすにもったいないと思うよ。
先年、甲州路を歩いてたどった折に『 廿三夜塔 』をいくつも見かけた。
かつてはそこで二十三夜のたびに集っていたという。
読経したり会食したりというから、実際は月見の飲み会のようなものではなかったか。
月齢が時間の基準であった昔。
月の満ち欠けへの想いは、いまとは比べ物にならない。
時間の基準であり、それは収穫期などの目安にもなり。
そのありがたい月であり夜をツクヨミという神が統べる国。
言葉から察するに『 時を読む 』との意味だろうから、時間をすべる神という性質があったかに思われ。
それなのになぜか古事記のなかではほとんど触れられることのないツクヨミ様だ。
あたしゃこんな妄想をする。
太陽神アマテラスが統べた昼の世界の神話とは別に、ツクヨミが統べた夜の世界の物語があったのではないかと。
古事記は実は前後編の二部構成で構想され、
実際に残されたのは昼編であった。
ツクヨミの夜編は文字通り闇へと葬られた云々。
天岩戸のエピソードは、皆既日食であったと読み取られいる。
ツクヨミ率いる夜神たちのクーデターだったと考えられないかとか。
とかなんとか妄想で楽しむうちに休憩が終わる。
今晩は雨で中止。
明日からまた現場だ。
追記。
勤務を終えてクロスカブで帰宅。
近所のセブンに立ち寄った。
レジ店員と、カウンターを挟んだ客の間に透明なビニールのカーテンが吊り下げられていた。
コロナ対策だという。
闇生