与瀬の一里塚跡は日本橋から十六里目を示す。
一里塚の北を走る古道を西へたどって、まもなく三差路へ。
20号からの枝道が合流するその地点に道標が立っていた。
こいつをみつけるとほっとする。
道をまちがえていやしないかという不安が常に頭の隅にあるもので。
斜面に赤い常夜灯がみえた。
その背後に竹で組んだ素朴な鳥居が。
夜にこの常夜灯に灯がともると、風情があったでしょうな。
この秋葉信仰というのもずいぶんと広まっていたらしく。
あちこちにその名残があります。
アキバ信仰だなんて現代で使えば、別の意味が生じてしまいますが。
では秋葉原の『アキハバラ』を何故『アキハ』ではなく『アキバ』と略すのか。
それは秋葉原の語源が秋葉信仰に由縁するから、という説があるそうで。
となると秋葉信仰もアキバ信仰も同じじゃねえか、とやっつけてやろうかと思ふ。
けれど、すでにアキバもどうなんだ。
たいがいのものはネットで済んでしまう昨今、そこに出向くという動機づけに、地元の経営者たちは工夫が求められているわけで。
そんなことを考えて甲州路を歩いているのか、あたしはと。
神社の下にならぶ石仏と目が合った。
な。
おつかれ。
と、道中をつづける。
道中歩きをはじめてからよく見かけるのが、
まず都心では庚申塔。それからお寺さんは曹洞宗、真言宗、かな。
ところが西へすすむにしたがってこの『廿三夜』を目にする。
なんでしょか。廿三夜(にじゅうさんや)とは。
特定の月齢にみんなで集ってお月さんを拝んだらしい。
二十三夜のほかにも十九夜、二十二夜などとさまざまあって。
地域ごとにその夜は集い、飲食をともにし、悪霊退散などをねがってお経などを唱えるそうな。
菩薩や如来といった仏教系をあがめたことになってはいるが、はたして仏教系のイベントと言ってよいのだろうか。
体裁はそうであっても外来の文化特有の激しさはそこにはなく、きわめて日本的なケガレ概念に基づくお祓いの意味合いが強いし、
『お月見』だなんて月を愛でる行為を日常的なイベントにして『集いの方便』にしてしまうなんて、かわいいじゃありませんか。
『花見』もそうだが、単に『飲み会』とかいってるよりも味わいがある。
現代にもおなじみなのはやはり童謡とともに広まった十五夜だろうか。
うさぎさんは十五夜お月さんを見てはねるのである。
やがて分岐に。
ファミリーオートの角を巻き込むように左折。
わくわくしますな。
こういう道は。
つづく。
☾☀闇生★☽