よし。
熱はおさまった。
けれど今度は咳がでる。
その咳と一緒に変な色の痰が出る。
この日も何もしない。
本を読む。
食べる。
寝る。
社会では、
1970年代におきた連続企業爆破事件で指名手配されていた男が発見されたと。
彼は交番の指名手配写真でおなじみの顔であり。
大仰な名称のテログループのメンバーであり、逃亡は実に約49年間にもわたったという。
数十年前から神奈川の土木工事会社に住み込みで働いており、
末期のガンを患い、
しかし偽名のため健康保険には加入できず、
自費で通院していたとのこと。
それが今月、路上で倒れた。
通行人に助けられて自宅にもどったもののその後救急搬送。
死期をさとってか「最期は本名で迎えたい」と明かしたことで、上記の指名手配犯であったことが判明するに至る。
病床のなか警視庁による事情聴取と身元確認が進められていたが、死亡。
所属グループによる他の犯行では死者も出ているが、桐島の容疑は75年4月銀座のビルに手製爆弾を仕掛けて爆発させたことだ。
彼の関わったとされる事件では死傷者は出ていないらしい。
この日、彼が住み込みをしていたというアパートの粗末な外観が公開された。
それを受けて刑務所のほうがましだったのではないかとの声があがっている。
それを云っちゃあ、なのだが。まあ、そういう感想を多くの人が抱くであろう外観ではあった。
それはまるで廃墟のような……。
彼らがどういう理想を掲げていたのかはあたしゃ知らん。
けれど、
その後社会に溶け込んで鳴りを潜めていたということは、活動の継続はやめたということになのだろうか。
断念なのか。
完了なのか。
革命の熱が冷めたのか。
しらけちゃったのか。
指示を待っての無期限の待機中なのか。
しがない住み込み作業員でいたということは組織的な支援も得られなかったのかもしれない。
暴力的な反社会的な政治思想というのは、長い逃亡生活のなかで変化していくものなのだろうか。
それとも、ぬくぬくと社会の恩恵に浴しながら、屁理屈に屁理屈をかさね巻いて自己正当化を強靭にしていくものなのか。
支持者がいないのならば、考えをあらためる機会も少なくなかっただろうにと思う。
働いていたのならば開かれた社会のなかにいる。
情報にも人物にも触れる機会はふんだんにあったはず。
しかし、取り巻きに囲われていたのならばそうはいかない。
人は自分を肯定してくれるところへ惹かれていく。
その引力に善悪は関係ない。
そしてその肯定とは金銭でもあり、精神的な支えでもあり、信頼されることであり、生活の安定でもあり。
あるいはある種の苦痛であり、快楽であり。
それらは呪縛でもあるがあつい抱擁でもある。
人はめったなことでは変われない。
基本的にはまず変われない。
卑近な肯定からそう簡単には遁れられない。
少なくとも本人が気付かないかぎりは変われない。
この気づきが、至難。
そして気づいてからが、苦難。
明日は現場に復帰する。
単発だけれど、かつて自分が携わったお客様なのでアタマはあたしだ。
おつかれ。
☾★闇生☀☽