壁の言の葉

unlucky hero your key

かぜです。


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 一日部屋にこもってふてくされていた。 
 そのせいで少しは良くなってきた。
 熱は日中で37.5度。
 いま陽が落ちてのどの痛みもだいぶ癒えてきた。
 鼻水じゅるじゅる。
 たまに咳。
 頭痛はまだ残っている。
 

 これくらいなら別に仕事に支障はないのだろう。
 けれどね、ほんとこの時期の屋外夜勤というのはしんどいの。こたえるの。
 ましてや、少しも面白味のない現場ばかりで。
 内勤たちは現場経験をひと月もつまずに若いというだけで取り立てられていく。
 そんな彼らにコマのように配置される日々だ。
 彼らは隊員たちの能力も経験も加味しない。曰く、


 1は1


 だそうな。
 現場も仕事も隊員の個性も能力すらもおぼえるまえに内業に移っているので、彼らには適材適所という考えがない。
 現場に必要な能力とそのチーム構成も、組み合わせの相性も思慮の外。
 一人は一人。
 注文された人数ぶんののっぺらぼうたちを配置するだけ。

 
 内勤はコマ(隊員)を個性と能力差があるものとしてではなくすべて無個性なコマとして扱う。
 将棋の駒ではなくオセロや囲碁の石のように捉えているのだ。
 しかも彼らは現場(盤面とルール)を知らないからとりあえず空いている場所にそれらコマを据え置くことしかできない。
 時間内に配置したらその日の仕事はあがり。


 おつかれ。


 ところがその指し手(職長)だけは指名する。
 もしくはそれさえも「お前らで決めて」と現場に丸投げされる場合も珍しくはない。
 コマも指し手も同じ日当だ。
 自主的な下調べも、作業内容の周知から状況と能力に合わせた配置から新人指導から新規入場対応からクレーム対応まで何から何まで引き受ける指し手(職長)が同じ金額であると。
 一部のお人よしが渋々それを引き受ける。
 誰かがやらねば現場は始まらないのだから。
 口の悪い先輩はこう揶揄したよ。
 

 本番までやっちゃうヘルス嬢


 業態がそうなっているのだ。改善は不可能だろう。
 出来ない奴と能力を出し惜しむ奴が、一部のお人よしによりかかって成立している世界。
 内勤は「知ったことか」と押し付けるだけ。
 労いの言葉すらない。


 ならばこちらとて同じ。義理もない。


 コンビニに出掛けてインスタントものを買いだめしてはまたこもる。
 ただでさえ整理されない部屋がますます散らかっていく。
 昨日はじっと志の輔の落語を聴きながら寝ていた。
 目が痛くてPCのモニターも本も長時間は対峙できなかった。
 何か食って、あとはその食後のまどろみに甘えて眠るだけ。
 そのくり返し。


 今日は少しだけ本が読めた。
 ブックオフで買った自己啓発本
 この手の本は心が元気なときには手に取ろうとも思わない。
 へこたれたときにふと手にする。
 弱った心には響くが、元気な心には何の効果もないというのがこの種の本で。
 そして読みすすめていくうちにツッコミどころが増えていく。
 心という定義困難なことを扱うのだから、どうしたって表現は抽象的になる。
 であるのにもかかわらずその抽象を断言してくる。


 幻滅の湖を底へ底へと沈んでいく逃避の旅も、やがて力尽きるときがくる。
 そのとき潜行は自然と止まる。
 闇のなか、ゆっくりと向きを変え、現実の湖面へと浮上をはじめる。
 抽象から具象・具体的な思考へとギアチェンジをしようとする。
 湖上の光がわずかにそそいでくる。
 光を感じて拙く足搔く。
 それがすでに回復の兆しなのですな。


 この手の本は心の復調を確認するのに使うことがある。



 では、


 おつかれ。
 
 
 ☾★闇生☀☽