新コロ対応で店舗販売を休業しているニヒル牛。
その公式ブログで展開されている全箱紹介であたしがひと目ぼれした本がこれ。
塔島ひろみ著、車掌文庫シリーズと銘打たれた二冊。
『二十世紀終わりの夏、私はこんな風に子供を産んだ』
『乳母車を押して、トラックのように私は走った』
もちろん手にとったことはない。
内容も知らない。
ただタイトルに惚れて、即決。
全箱紹介では他に二冊とりあげられていた*1のだが、そちらは残念ながら欠品しているという知らせがあった。
なんでもいいから残っているのをおくれ、の気持ちで注文。
店舗休業のうえ外出自粛しておられる店主でるあからして通販対応もそうレスポンス良くできる状況ではないというのにこのおっさん、自宅住所も書かずに注文してしまい、二度手間をさせるという失態をおかした。
にもかかわらず、特製のポストカードまでいただく始末だ。
ありがたし、
と拝みつつさっそく表紙をめくる。
字が小さい。
ははん、妊婦もので文字が小さいということはあれか。老眼のすすむおっさんにつらくあたる本にちがいないと構えた。
が、ちがった。
あれよあれよとページが進む。
これはあれだな。「あたり」というやつだ。
妊婦のあられもない日常が日記形式で簡潔につづられていく。
それはもうあられもない。
露悪趣味でも、綺麗ごとでもない。
それでいて妊婦のHow toもんの需要を狙うような下心すらない。
あたしのようにしつこくだらだら書かないので愚痴ですら潔く、すとんと正直で、章ごとに余韻をのこす。
この余韻がよろしいのね。
たまらんわな。
シリーズ化されているらしい『大安の日はあんぱんを食べる』も読みたくなる。
いやだ読みたい。
とうじ魔とうじの奥さんだという。
で、こんだけ面白い文章を書く人だ。きっと知る人ぞ知る書き手なのだろう。
となると、わからんのだな。
大手から出版されてもよさそうなクオリティだというのに、と俗物なあたしは考えてしまう。
けれど、そうなるとあたしのようなヘソ曲りは手にとらなかったのかもしれない。
しかしなぜだろう。店舗にうかがったときに、これらの作品に出会えなかったのは。
まず活字モノをチェックするのが習慣になっているあたくしだのに。
たまたま欠品していたのだろうか。
これも新コロによる営業自粛があったからこその出会いだな。
おっし、
また好きな作家ができたぞ。
※追伸。
ニヒル牛では恒例の人気企画『旅本展』の開催がせまっている。
営業再開を祝うにもってこいの好企画。
新コロ対応を万全にして準備がすすめられているという。
もちろん通販も取り扱うとのことだけれど、
目当ての作家の新作、ゲットできるだろうか。
闇生