前からこのブログでも書いていのだが、繰り返す。
言論の自由のない国と話合いなどは成立しない、と。
交渉も協力も、あるいは討論、口論は無論のこと、和解ですらも言葉からはじまるのだから。
つまりまっとうなお付き合いはできないのよ。
友だちになんかなれない。
言論の自由は思想の自由でもあるわけですしね。
それを縛るどころか、
ウェブでの配信まで監視対象にし見つけ次第に罰するというのだから、
同情するではないか。
逆に日本で親韓発言で罰せられるような法案が通ったら、どう思うよ。
たとえ嫌韓派であっても、さすがに首をかしげるのではないだろうか。
それが確固とした主張であるならあるほど法で縛るまでもないはずだし。
縛ったところで本質は何も解決しないからだ。
いや、韓国だけでなく、特定のどこかの国を対象とした法案でもいい。
想像できるでしょう。どれだけ馬鹿げたことか。
この法案が成立するような国なら、
そしてそれに窮屈さを感じているのなら、
他の国へ逃げればいい。
日本だけじゃなくてね。
歴史をふりかえれば、古来より渡来人によって日本へもたらされた恩恵は少なくなかったのだし。
『敵の敵は味方』ではないが、そんな事情で国民を縛るだなんて母国とはいえないし、そんな国から敵視されるというのなら日本にとっては同志といってよいでしょう。
時代錯誤もはなはだしい。
あたしゃ民主主義こそが完成された絶対の体制であるとは思わない。
が、だからこそ偽民主主義というもののたちの悪さを嫌悪する。
同情します。
闇生