姉が作ってくれた手製のマスクをして現場にいくと、
「それ、アベノマスクですか」
と半笑いのリアクションを受ける。
信州に嫁いでいる姉が作って送ってくれたものだ、と説明。
すると、
「届きました? アベノマスク」
いや、まだ届かない。
「俺なんか、封もあけずにそのままゴミ箱にポイしましたよ」
と胸を張る彼。
だからモノがどんなものか知らないのだという。
批判は結構だ。
んが、
見もせずにポイというのもどうかと思ふ。
ばっちいものと見做したのだろうけれど、同じ政治趣向の人たちなら彼のようなアクションに喝采するのだろうか。
ともあれ好き嫌いで物事の価値を決めているような気配がした。
好き嫌いを基準にされてしまうと、議論は成立しにくい。
突き詰めたところで、好きなものは好き。嫌いなものは嫌い。になってしまうからだ。
そこに理は通用しない。
しかし、好き嫌いなんてものは、一夜にしてころりと変わるものなので。
真に受けて相手していると、不毛の堂々巡りにはまり込む。
なので、
好き嫌いの感情はいったん棚に上げて、それから批判するなら批判するのが良いと思ふ。
つまり好きな奴が支持しているからとか、嫌いな奴が反対しているから、という価値基準を警戒しようと。
みんなが言っているから、もそうか。
なんだっけ。
検察庁法改正の件か。
是か非かを踏み絵のように突き付けてくる同調圧力がね、こわいです。
そろそろTwitterを始めてみようかとも思っていた矢先に、あれをみるとどうもな。
同僚のみんながハマっているカレー屋にあたしだけ行かない、というだけでハブられている我が身の丈を鑑みれば、あっという間に飲まれちゃうだろうな。
民主主義というのはあくまで乗り物であって、だれがどう運転しようが安全だとは限らない。
「船頭多くして船山に登る」ではあかんし。
といって能力のない者を船頭に選んで妄信するのも危険だ。
乗り物自体を神聖視して拝んでいても埒が明かない。
発言は自由、とやたらに言われるけれど、
自由というのはその規制の加減(外枠)にこそミソがあるので、
自由そのものを絶対の不可侵にしてしまうときっと放埓に堕ちるし、
また逆に規制を強固にしすぎると束縛された窮屈な世界になってしまう。
バランスをとるには、少なくともみんなに秩序が意識されないとなあ。
むずかしいですな。
で、おすすめの名著。
↓
- 作者:長谷川 三千子
- 発売日: 2001/09/20
- メディア: 新書
ヒトラーも民衆の熱狂的喝采(つまり多数派の支持。民主主義的手続き。)から生まれたのですからね。
闇生