当選抗議デモ。
民主主義の卸問屋でのひと幕。
民主主義とはなんなのか、それを考える一面としておもろい。
それが自由と民主主義の大国アメリカ(人種・歴史・慣習・価値観・宗教を異にするあらゆる衆を合わせる国。合衆国。)でおこっているというとこ。そこがおもろいわ。
アメリカにならえ、と長年やってきたとこへきてこの騒動だ。
自由と民主主義。
言葉としてまずそこに相克がありますでしょ?
民主主義に全員の自由はないし。
自由なら主義なんかいらないはず。かってにやればいい。
けれども自由の概念なんてものは衆によって異なるわけでえ。
そこへ加えて平等まで主義化するならば、公平さから逸脱したものに仕上がってしまう。
んじゃあそのバランスやジャッジメントの加減は、どこに求めるのかということだ。
それをひたすら多数決に頼ってきたとこへきての、騒動と。
多いもん勝ちっ。
あらゆる衆を統合する国家としてどーすんだ、これ。
さてさて、
お手並み拝見だわ。
追記。
本来異なっているはずの人種・歴史・価値観・宗教のすり合わせには、共通しているかに思われている上澄みのみを汲み取っていくしかない。
弱火で煮込んでね。
時間をかけて。
とりわけマスコミはその上澄みを汲み取っていくのを主眼とするはずなのだけれど、そこは商売だ。情報の新しさに固執する。
そのあまり意図的にフライングする。
必然的にミスリードをやらかす。
多数派はこっちですよ。
時代はこっちですよと希望的観測や見込みや理想だけで旗を振る。
なんならネタとして刺激的な方にスポットを当てる。
いや、事象をより刺激的に報じる。
大衆の耳目を引く刺激やスキャンダルを求めてネタ探しをする。
今回の件に関しても、そこんとこの経緯や事情がドタバタと浮彫りにされてくるでしょう。
その意味で報じられる対象よりも、報じる方のお里を意識しなければなりません。
仮に、異なる具材それぞれの芯にまでダシがしみ込んだとしても、崩れて、溶けて一体になるまで煮込めるものなのかね。
相当な火力(権力)か時間がいるよ。
なんかようわからん全部の味と匂いと色の溶け合ったひとつドロドロのものになれるのかね。
大根も人参もつくねもウインナーも、みんなモノを言うからねえ。
合衆国、とはモノは言いようで有体は大衆国ですから。
みんな勝手なこと言うし。
そのわりには振られる旗の方へと流されるし。
いや、それは仕方ないんです。
われわれもその道を着々と進んでいますからね。
逃れようもない、
だもんで、お手並み拝見と。
それはともかく夜勤帰りの一杯は鍋にする所存であーる。
断固として鍋だね。
ほどよく煮込んで、はふはふ言っていただきまーすと。
☾☀闇生★☽