ドラッグストアの店員さんの愚痴ツイートが話題になっている模様。
『 マスクありません 』
と告知を貼りだしているのに、わざわざ「 マスクある? 」と聞いてくる年寄りたちに向けての苦言だ。
むろん年寄りがすべてそうなのではないだろうけれど、高齢化によって客層は年寄りが圧倒的だろうからそういう印象が強いのだろうけれど。
無いと書いてあるのに、なんでわざわざ聞いてくるのかと。
腹立つよね。
同情します。
けど、そもそも大衆というのはそういうものなんです。
だから大衆なんです。
あきらめましょう。
店員に聞いたらあるかもしれない、と考えるのです。
いや、実は考えてもいないのです。
聞いてみただけ、というやつでしょう。
聞くのはタダだから、もしもあったらラッキーじゃんてやつ。
レンタルビデオ屋に勤めていたときに、それは散々痛感した。
看板には『 年中無休 』と表示してあるし、
そのうえで営業時間も書いてあるにもかかわらず。
年末年始、お盆、GWにはさらにポップを付け加えて強調もしていた。
それでも「 明日やってんの? 」と、何人も何人も聞いてくる。
それもポップを指さして聞いてくる。
ほんと疲れるんだ。
「 やってますよ 」と答えると今度は「 じゃ、あさっては? 」とくる。
出た、消去法責め。
めんどくさー。
それでいて彼らはその期間には来ないんだ。
その手の客のあしらいに慣れた先輩たちは「 寂しいからただしゃべりたいだけなんだよ 」と慰めてくれた。
コミュニケーションが目当てだろうと。
あまりにくどいので「 年中無休です 」とだけ答えたら「 じゃ年外は? 」ときたもんだ。
なんだよ、年外て。
シャッターおろして『 閉店 』の看板をさげても、外からノックしてくるからね。連中は。
あきらめましょう。
ケービでもそう。
『 車両通行止め 』とでかでかと看板を設置してあるその前で、わざわざ看板を指して「 え? 人は通れんの? 」と聞いてくる。
めんどくさー。『 車両 』と書いてあるだろうに。
仮に人を通せないところに人が侵入してくる様子なら、声をかけるよこっちはさ。そのために立っているんだから。
そしてこう続くのだ、
「 じゃ右は行けるの? 」
「 通れますよ 」
「 じゃ左は? 」
消去法責め。
看板はどこに設置してあるのか。どの道をふさいでいるのかまで読み取ろうとしない。
そこいくとドライバーはそもそも交通ルールや標識を読み取ろうという意識で活動しているから歩行者やチャリンカーよりは理解が早い。
けれど歩行者というのは、状況を読み取ろうという意識が薄い状態だからね。大概において。
あきらめましょう。
券売機式のガストでもそういう老害を見かけた。
いきなり席について紙幣をカウンター越しにひらひらさせて注文する。
毎度のことらしく、店員さんが調理の手を止め、むっとして紙幣を受け取り、カウンターを出て券売機までいって注文の品のチケットを買い、つり銭を客にわたしてカウンターに戻り、というのを何回か見た。その店で有名なのだろう。
なにゆえ券売機式なのか考えたことがないのだろう*1。
これも、同じようなタイプの人だと思う。
コンビニでタバコを番号で注文しないやつとか。
レジの順番待ちポジションに立たないやつとか。
でも、そういうもんなんだ。大衆というのは。
どんだけ明快なポップをつけても見ないやつは見ない。
こんだけ不要不急の外出自粛をよびかけても、意味なく徘徊するヤツは徘徊するのだから。
躾けられていない愛しき犬猫、ならぬ同じ穴の貉とでも思って対応するしかないのだな。
心ひそかに「 あらあらこまったちゃんでちゅねー 」と。
ちがうシチュエーションでは、自分もきっとやらかす側になっているのだ。
政治家は投票でとっかえることができる可能性がありますが、大衆はとっかえられない。
せめて自分が根無し草の『 大衆 』であることを自覚することから出発して、常識に根ざした『 庶民 』になろうとすることでしか、正気をたもつすべはございません。
もはや誰ひとりとして、なろうとすることまでしかできまへん。
なることはできない。
アップデートに終わりはないのですな。
闇生