たかだかラジオの深夜放送のなかの、それもいちタレント芸人にすぎない人物の発言ですらも、ここまでつるし上げを食らう世の中なのだな。
まるで知識人や政治家の失言レベルで取り扱ってます。
黒澤明の『乱』に出てくる狂阿弥( 王付きの道化 )のように、
「王様は裸だー!」
をやるのが彼らカタギでない人たちの役割であると心得ておりましたが、それがいまや立場が逆転してしまったというところでしょうか。
大丈夫なんでしょうか。
狂阿弥のからかいは、真をうがちつつもその立場はあくまで外野であることを、自他ともに認識してこそで。
外野だからこそ、歯に衣着せぬ暴言、苦言もできる。
軽口もたたける。
だからこそ秀虎( 王 )は道化をそばに飼っているのだが……。
民主主義の大衆化がすすむ現代においては、
我々大衆こそが王でしょうに。
全盛期の談志やたけしが深夜ラジオで放っていた毒との違いは、どこだろう。
単にシモネタや風俗ネタならここまで叩かれないのだろうけれど。
今回の未曾有の事態のいわば被害者となる女性たちの不幸を心待ちにしている、というところだろうか。
それも下半身で。
すけべなおっさんが、性を商品化せざるをえなくなった女性の不幸を貪る、とな。
女性を敵にする要素満載だよな。
しかし実際に放送を聞いていないから、編集された文字おこしだけを元に批判したりするのはあたしゃやめるよ。
経験として、発言の一部を文字おこしして繰り広げられる批判というのは、本質からそれている。
だいいち、全体を文字におこしたところで、ニュアンスまでは伝わらない。
ひとつ思ったのは、
現役の風俗嬢たち、もしくは経営者たちはこれをどう解釈したのかなと。
歴史的にみると、
そういう商売というものは、たとえば訳ありの後家とかいう触れ込みで売ったりもしてきたわけでね。
現役女子高生だとかさ。
家出少女がとか。
セレブが訳ありで、とかさ。
虚実をいりまじえて稼いできた。
風俗入りする理由を経済的事情とするのは、実は売り方としても定番だ。
しかしそれは、たくましさでもあるのだな。
手玉にとるとはこのことで。
不況も敗戦もなんのその。
あたしらは、そのたくましさに支えられてもきたのであーる。
この発言のとおりなら、数か月だけ集中的に働いて、稼いだらさっと辞めていくんでしょう?
かっこいいじゃんか。
たくましいよ。
あたしゃね、
批判する側にこそ、風俗業への蔑視がにおうのだけれど。
どーでしょ。
コロナ終息後、
生活に困窮して風俗入りしたはいいものの、風俗通いバッシングが風潮となって業界自体が低迷してたんじゃ彼女らも浮かばれない。
じゃ、ちょっと飲んでから、寝ます。
今晩は一週間ぶりに仕事。
※追伸。
タレントだのタレント芸人だのがYoutubeにじゃんじゃん流れ込んでくるね。
収録の自粛が長引いているのも関係あるのだろうけれど。
待っていればそのうち活動の場を失った大物たちがどんどん参入してくるばず、と期待するのは上の記事のキレイなおねえさんの風俗入りを待つのと似てるな。
放送コードだのクレームだのが年々うるさくなっていくテレビではあるのだが、だからといって、無法地帯となってはつまらんなあ。
絵画の本質は額縁にあり、とチェスタトンは言ったが。
額縁の加減なのだ。要は。
秀虎( 王 )は、狂うにつれて狂阿弥(道化)を拒むようになっていったよ。
道化のからかいに苛立つとき、それは立ち止まって自らの正気をたしかめるときでもある、と思ふ。
※追記
ひとつ書き忘れた。
先のパチンコ屋の問題がありますでしょ。
営業自粛要請に従わないパチンコ店に、客が殺到したというあれ。
別にこの風俗発言のタレントを擁護するつもりはないけれど、この騒ぎのなかでも風俗に通う人たちだ。営業している風俗店があるかぎり、行くでしょ。
ならば同じ風俗好きの立場からの「今はガマンしよう」の声の方が届くかもしれないね。
それも「コロナ感染拡大をふせぐために」なんて品行方正な理由では、通じない。
この問題は、人間の獣性の部分の問題だということ。
いわゆる人間性ばかりが公では語られるが、人間は同時に獣性も兼ね備える生き物だ。
その獣性に対して社会的な良識や説教で諭したところで、まさしく馬の耳に念仏ではないのか。
この発言を聞いた他の風俗好きたちの感想も知りたい。
AC JAPAN風のメッセージが届かない獣性には「いまは我慢しよ。待てば海路の日和ありだぜ」のほうが届くのではないのか。
立てこもり犯の胸をうつネゴシエーターの言葉は、相手の身になった寄り添う言葉だ。
正面からの正論ではなく、横に寄りそった同類『味方』としてのあられもない本音。
ニンゲンの獣性・業に寄り添ったささやき。
ましてや彼の発言は悩める『当人』に対してのものだろう。
つまりネゴシエートしようとしたのではないのかな?
闇生