新コロ。

 ここまで感染が拡大してしまった原因は、流通の発展にあることは誰もが認識している。
 物の行き来は人の行き来で。
 そして『人』は今やそのことごとくが『自由』を無条件に保証された『個人』とみなされ、その『自由』に対して権力が制限をかけることを、今では一元的に、もはや生理的なレベルで忌避するようになってしまったため、こういう事態に対して権力は発動をためらうほかない。
 果して、それは束縛なのか。あるいは抱擁なのか。
 『公権』はもはや強権でない。『有権』者(大衆)の顔色をうかがういながらでしか発動できない。そんな育て方をしてきたのは、あたしらだ。大衆におびえながらおそるおそる後手後手の差配しかできないように育ててきたのは、あたしら大衆だ。
 


 子(個)がのさばるあまり、叱れない親にしてしまった。



 ところで、
 古代史を振り返ると、元号の変わり目に疫病が蔓延することが珍しくない。
 古代では悲運のうちに失脚した何者かのタタリか、時の権力者の不徳にその原因を見出していた模様。
 現代では疫病の発生に権力者の有能無能は関係していないと思われるが、その対処の仕方には差が出る。
 それはもう直で出る。
 となると、結果として「あいつのせいだ」の矛先は、やはり権力者にむけられる。
 となれば英断は、末代までの悪役覚悟でなされることになる。
 これもまあ、歴史で繰り返されてきたことか。

 
 好感度の高い善玉になろうと出馬するのは捨てるほどいるが、
 国の為に悪役を買って出ようと覚悟している権力者は、はたしてどの程度いるのか。





 呵々大笑。



 さて、あたくしだ。
 仕事をしばらく休もうか。
 どうしようか。
 収入の保証だなんだと騒いで抱擁を待ったところで、健康は自分のものである。
 駄々こねたって始まらない。
 自分の健康は自分で抱擁するほかない。
 貯金切り崩してでも休む、という判断も無くはないのでは?





 闇生