久々の日勤。
昼時に一時間の休憩をもらって、仙川沿いを散歩。
そのあとむらさき橋通りへ。
ひょいと気まぐれに暖簾をくぐったラーメン屋『 新精亭 』で昼食をとる。
久しぶりにラーメンを食す。
チャーシュー麺とギョーザ。
店は、頭に巻いたタオルからTシャツから前掛けまで全て黒づくめの茶髪ヤンキー風情が切り盛りするような今風のではなく、あくまで昭和テイスト。ファミリー経営らしき店員さんたちは皆白く清潔な割烹着姿で、物腰はきりっと明るい和食屋を思わせる。
夜は居酒屋となる。
が、これも巷にチェーン展開をしているような飲み会向けの賑やかな雰囲気ではないのだろう。
といってカラオケでおっさんが額に血管を浮きだたせて我鳴り明かすスナック風情でも無さそうだ。
へい、エビス。的な。
落ち着いて飲めそうな気配。
さて、
チャーシュー麺。
麺は柔らか目。
スープはこれぞ日本のラーメンの基本形といいたくなるような醤油系。
円く配置されたチャーシューたちはそれぞれ肉厚だが、決して他の具材をどんぶりごと覆い隠してしまうような下品なナリでも盛り付けでもない。
中央に配置された一枚のナルト、
ひとつまみのホウレン草、
それらの陰影として浮きつ沈みつしているシナ竹らと共に、あくまでラーメンというバンドのいちメンバーとして調和している。
ギョーザの品も良い。
全体にこぶりで、羽根はフライパンの名残りとして、あくまでギョーザとの主従をわきまえてこそのたたずまい。取って付けたようなこれ見よがしではない。
ラーメンという主役に対しての脇役であることをわきまえた役者のそのほのかな、余韻。残響。オーラとしての羽根だ。
うまし。
あそうか。
もてなし、なのだな。
この程よい距離感と風通しのよさと品は。
闇生