場の意義。

 ライブハウスが国に損失補償など求め、30万人余の署名をあつめたという。

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 む。 

 ライブハウスや劇場という『場』の存続に対しては支援したいし、今回の件が原因となって文化として衰退して欲しくはないけれど、
 なんか違うような気がするよ。
 そもそも、国家の干渉をさけることで表現の自由を確保するのが、そういう場の役割なのではなかったのかと。

 ちなみにあたしゃ反国家主義ではないならね。

 けれど、表現の場というのはその役割として「王様は裸だ!」と言う選択肢をつねに確保するべきだと思う。
 むろんその「王様」というのは、時代状況によって変化するものであって、
 ある時代には権力を振りかざす『政権』でもあろうし、
 またある時代には情報に惑わされて買い占めだのをやらかす『大衆』でもあり、
 それらを煽動したり追従する『マスコミ』でもあるわけで。
 なので「裸だ」と指さす対象はその都度見極めなきゃならん。
 そこは怠ってはいかん。
 そう踏まえたうえで、やはり国に補償を求めるのは、どうなんだろうと思ふのだ。

 各ライブハウスがそれぞれ有志を集い、無観客ライブを敢行し、それを有料配信することなどで賄えないものだろうか。
 理想論かもしれないが、それがあるべき姿のような気がしてならない。
 もともと、今回の件がなくとも経営的に難しい局面を迎えていた店は少なくないわけで。
 それは、
 出演者へ課すチケットノルマにばかりに収益を頼り、自らは公演ごとの広報やチケット販売には尽力しないという慣例がまかり通ってきたことにも問題があって。
 それを指摘する声は、まえからあった。
 当然すべての店がそうではないだろうけれど。
 ピンチとなるやなりふり構わず国家に救いを求めるのかよ……。表現の場がよ。



 存在意義を顧みたことあるのだろうか。
 


 それじゃあ公民館とかわらんだろうが、となってしまうではないか。
 客と出演者はなにゆえ公民館ではなくライブハウスを選ぶのか。
 理由は沢山あるでしょう。
 けれどあまりに当たり前に存在しつづけてきたせいで意識しなくなってしまつたのではないのかと。
 そこんとこをいまいちど見直すべきじゃないすかね。





 でないとチケットノルマがないぶん公民館の方がいいぞと、なっちゃうぞ。
 





 闇生