あのね、
相手が刃向えないのをいいことにふるわれる力というものは、ある種の陶酔を生むのね。
誤解をおそれずにのたまえば、双方に。
これ、つまりは権力ですから。
酒のようなもので、度を超せば泥酔する。
ともすれば暴走する。
権力は暴力と化す。
それを制御するのはひとえに自制心なのであるからして、乗りこなすのはなかなかに困難だ。
ゆえにそれを体現する人をかつては人格者と言ったのではないのか。
人物といったのではないのか。
しかし、どうだろう。
人格者も人物も今では死語のようなもので、そんな不合理なものに人生そうそう付き合ってもいられないというご時世なのであーる。
有体に云って、しちめんどくさい。
政治家や教師や警察官などなど、それら他者には清貧潔癖、刻苦勉励をもとめながら、日夜自分は損得勘定、享楽怠慢に忙しいと。
他人の酔態はけしからんが、自分は吐きたいときにそりゃもお、れろれろ吐き散らすと。
そんななか進んで人格者になろうとするお人よしのドMさんなど、どれほどいるのだろうか。
数百人に、
あるいは数千人に一人?
そう、例の体罰問題を考えている。
あたしは体罰をひとつ残らずなくせとは思わない。
もしこれを機に体罰反対運動なるものが流行れば、そいつを後ろ盾にのさばる連中がかならず出ることを知っている。
昭和の時代、流行病のように全国にはびこった校内暴力というものは、まさにそれだった。
生徒側が酔っていた。
どんちゃん騒ぎだ。
あれも世間という力が、教師という弱者を追い込んだ一方的な暴力だ。
泥酔だ。
力を介在とした関係には、第三者から見えるものと、当事者双方にしか見えないもの。つまり共有する幻想のようなもの。
そして、当人にしか見えないものがあって。
問題はこれらのバランスであるからして、そうそう一口には言いきれないはず。
どう突きつめてもグレーソーンではあるのね。
加減と関係のありかたで、どうとでも姿を変えると。
噺家と弟子とか。
平穏な独裁軍事国家とか。
ハードSM好きの円満夫婦とか。
規制やルールだけでどうにかなるものではないし。
ことわっておくけど、あの問題への答えなど出さないよ、ここで。
あたくし程度のオツムにそう簡単にだせるものではない。
たとえばマックの60秒サービスなるものに『便乗』する客の心情というのも、どうなんだ。
理不尽な注文をするのは、本当にタダ券欲しさだけなのだろうかと。
やむにやまれぬ貧しさからなのだろうか。
んなわけない。
アルバイトの女の子があたふたするのを面白がってもいないだろうか。
むしろ、それありきだろう。
あははおほほだろう。
はたしてそのキャンペーンが売上にどう反映しているのか、あたしゃ知らない。
けれど、その店員あたふたショーをも含めた戦略だとしたら、あれは見世物以外のなんでもないわけで。
残酷だ。
これもまた暴力とは言えまいか。
繰り返す。
相手が刃向えないことをいいことにふるわれる力というものは、陶酔を生む。
それもまた権力。
そんな関係は日常にごろごろしている。
この場合、経営者さまとお客さまという板挟みで、アルバイトさんは駆けずり回る。
ふたつの酔客の間で、駆けずり回る。
駆けつつやがて陶酔して、主客の共有する幻想の登場人物になり切れているうちはいいさ。
んが、
一気を強要する飲み会のように、そのドリームから脱落したら、あれだね。
憐れよ。
ニンゲン、
権力をもつと本質が丸出しになっちゃうもの。
権力を笠に着たドヤ顔ほど、醜い顔はまあ無いわな。
と、
スーパーのセール日に殺到する客に揉まれつつ、
思う。
そんなこんなで駐車場警備が一番疲れるのです。
☾☀闇生☆☽
余談。
とある道路工事現場にて。
そのケービについていた大先輩ガードマンから聞いた話。
路線バスの運転手が通りすがりにやたらクレームをしてくる。
通るたびにわざわざドアを開け、
そこに生じた渋滞についてあれこれ怒鳴ってくる。
道路使用の許可をとった上での工事だし、
状況をみればわかるのだが、そもそも渋滞は工事のせいではない。
それでも立場がら先輩は頭を下げていた。
こちらが頭を下げるのをいいことに、運転手は通るたびにそれをくり返す。
次にまたあらわれたとき、先輩は制服を脱ぎ捨てて仲間に一言、
「休憩入りまーす」
料金を払ってバスに乗り込んでしまった。
バス停じゃないんだから乗っちゃ駄目だ、という運転手に「ドアを開けたのはあなたでしょ」と先輩。
それ以前に俺、客だから。カネ払ったし。
さあ、話聞こうか。
運転手、ぐうの音も出なかったらしい。
無理難題でもてあそんだマックの店員が、他日、偶然に自分の職場にお客さまとしてあらわれたら、どんな顔して対応するんだろうか。
追記。
権力それ自体には善も悪もない。
むしろ権力をかりた善意の暴走の方が、おぞましい結果をうむ。
粛清だの、
侵略だの、
弾圧だの、民族浄化だの。
あたしら大衆の無自覚な加担が、それらを増長させることも少なくない。
これもまた酒と同じで、酒は飲んでも呑まれるな、なのであーる。