野田尻宿にて住人さんに傘をいただいた雨宿り中の闇生。
勝手に屋根をお借りした納屋から意を決して外に出た。
傘をさしてみると、これがなかなか悪くない。
ノートにメモしたりガイドブックを読んだりというのはさすがに煩わしいので、それらはバッグにしまったが。
風もおさまって、なんとか傘をさして歩いていくことはできる。
折り畳み傘では心もとないが、いただいた傘はワンタッチ式!
この傘ならスマホは庇うことができる。
ただしこの先に控える山道はどうかと逡巡していた。
傘とスマホで両手がふさがった状態でやらかすのかと。
バス停をみつけたら、そこでリタイアにしよう。
足早に先を急ぐ。
西光寺のこの分岐で道を逸れて左に行けば、中央線『四方津駅』行きのバスが拾える。
リタイアするなら、ここだ。
けれど、順路通りにここを右へ進んだ。
北久保橋で中央道を横切り、直進すると道は雨に濡れた林を抜ける土道に。
林はすぐに尽きて舗装道路に突き当たる。
これを右に。目指すは次の犬目宿。
荻野の一里塚跡を示す標柱が中央道側の土手に見えた。
日本橋から二十里。
さらに中央道に沿って歩いていくと『矢坪橋』という跨道橋があるので、ここでまた中央道を北へ渡る。
渡った橋の袂の十字は直進。するとこの石碑が。
また出たー。
『大乗妙典日本廻国供養塔』。
六十六部からなる法華経を全角六十六カ所の霊場をめぐって一部すづおさめていく、とされる修行の達成記念碑。
文化十年というから、1813年。江戸時代だね。
古道はこの石碑の後ろで分岐する。
斜め右への枝の坂道だ。
坂をのぼって見渡すと山間は白く煙っている。
雷鳴は遠のいていくが、雨はまだ降っていた。
こんなところに、こんな立派な鳥居がどーん。
この先から道は険しくなり山道といっていい様相になる。
がその手前のお宅の前に、黒板に黄色ペンキで啓蒙メッセージが記されてあった。
よくお寺さんの前なんかに掲示してあるのの、なんかちょっと強い語調のやつ。
その強さに込められた世間への憤りが生々しい。
で、その先から森の中に突入するのだが、そのあたりの斜面だけなぜかゴミが散乱していましたね。
家電のようなものも見えたけれど、こんな山道にどうやって運び込むのだろうか。
美観を損ねる有様にげんなりすると同時に、電子レンジなんかを抱えてここまで登ってくる奴の気が知れない。
啓蒙メッセージは、ひょっとするとそんな不心得者への言葉なのかもしれないなあ、と思った。
住人さんにはたまったものじゃないだろう。
つづく。
☾☀闇生★☽