さて、鶴川橋をわたって鶴川宿へと入ったところ。
ここからの宿場のメインストリートはかなり趣があってたのしめた。
神社もあれば、家々の構えには往時の名残があって、問屋跡や本陣跡がつづく。
その直線道路がこの『あいらーく鶴川宿』のまえで左にカーブする。
ご覧のように道標は道なりに進むように表示されてあるが、手元のガイドブック*1も旧街道ウォーキングルート紹介サイト*2も、この道標の対面にある枝の砂利道でカーブをショートカットするように案内されてあるのだ。
ちなみに道標に従って道なりに進むとカーブの途中で分岐があり、そこにも道標がある。
道標はY字を左に、と。
どちらを通ってもほんの20、30mで合流するのだが、やはりもどかしい。
どうせなのでショートカットの砂利道にも入ってみた。
舗装路とショートカット路の合流地点にある道標(つまり諏訪側)は、こんな具合にショートカット路をアピールしている。
奥に見えるのが先に上げた舗装路の分岐。
舗装路は分岐から坂になって撮影者側へ折り返している。
ようするに、道標に矛盾があるのね。
そして合流したさきの舗装路はすぐにまた分岐に。
これ、道標の位置はこれで正解なのだろうか。
古道は右に進むのだが、左に行くように案内しているようにも見えなくもない。
道標はこのY字の股に設置すべきではないだろうか。
この壁面への設置許可が得られなかったのならば、あるいは右の道の右側(たしか土手のようになっていたと思う)がよろしいと思う。
この分岐の坂をあがると道は平坦になり、民家と畑のあいだを抜ける。
すこし行くと鬱蒼とした小高い丘をなぞりつつ上る急坂の急カーブに。
この丘の上に神社があるように見えたのだが、Googleにも表示されず、ガイドブックとサイトにも案内がない。
行ってみればよかった、と今になって後悔。
この苔むすブロックの谷間をゆくあいだ、車は一台も通らなかった。
道は中央道の沿道に突き当たり、これを右に。
中央道を跨ぐ最初の橋(鳶ケ崎橋)でこれを渡る。
そして大椚(おおくぬぎ)一里塚跡。
日本橋から十九里。
この地にも、廿三夜塔だ。
これはあれかな。
この石碑の前に集うということなのかな。
あるいは会場がここのお宅だということなのかな。
道標の杭には『大椚宿発祥の地』と表示。
傍らの祠のなかの石碑は、もう刻銘は判読できず。
道なりにすすむと巨木が見えてくる。
樹齢600年とあってこれが『大椚』の地名となったのかと思いきや、さにあらず。
由来となった椚は境内の奥にあって、いまは枯れたという。
しかしながらこの大木に気をとられて、直前の路傍にある石仏たちの一列横隊を見逃してしまった。
これも後悔ですな。
いいわけとしては、このとき遠雷がしていて、
仮にその雷雲が道ゆきを阻むこととなれば、果たしてこの日の目的地『鳥沢』に日没までに到着できるか、という焦燥がはじまっていた。
よって、この境内には立ち寄らず、大椚をあとにしたのであった。
つづきます。
☾☀闇生★☽