古道は20号から分岐して『中華 福龍』の対面の枝道をゆく。
股にガソリンスタンドをはさむ交差点で20号と合流す。
道なりにすすんで『藤野駅前』交差点に。
そこをすぎたところの左手に階段路がある。
下りて古道に突き当たるらしいのだが、この階段に『この先通行止め』の表示が。
一応おりてみる。
古道はそこから西へのびるのだが、バリケードで封鎖されてあり、20mくらい先の路上にエンジ色の鉄骨が複数本、突き立てられているように見える。
20号沿いの何かの建物をささえるつっかえ棒のようにも見えるし。
あるいは建物が倒壊してその鉄骨がそこに散乱しているようにも見える。
ともかく、通行止めは通行止めだ。
20号に引き返す。
古道へ下りられる道を探しながら西へ。
細道をみつけて古道に下りる。
そこから先ほどの通行止め地点にもどってみたが、逆側も同様に通行止めとして封鎖されてあった。
現場は遠くて見えない。
古道を進む。
エステートコムという会社の前から土の道になる。
イノシシに注意の看板があった。
注意したところでどうなるのか。
出くわしちゃったら仕方がないのであーる。
林道だけど、LEDの街灯が設置されてある。
ということは、それなりに人が通るらしい。
林をぬけて古道は畑のなかへ。
畑を抜け、跨線橋をつかって中央本線の北側に。
そこからクランク状に道をとって20号に合流。
このクランク路沿いのお宅の座敷犬、ちっこいの二匹に、吠えたてられてしまった……。
このあたりに関野本陣跡があるはずだが、見当たらなかったのか。
それとも撮り忘れたのか。
疲れていたのか。
そして分岐。
20号からまた離れる。
ここを右の坂道へ入る。
道標は朽ちて草の上に転がされております。
残念です。
よって目印は円谷プロらしき、アレ。
そしてまた分岐。
この道標なんか、捨てられてる観じゃないですか。
捨てられて不貞寝をきめこんでいるじゃないですか。
案内する気、ゼロ。
いくらお盆だからとはいえ。ねえ……。
この坂を下りていくと20号に合流。
20号から坂を振り返る。
ここの道標なんか地名の表記が消えちゃってるもんね。
しばらくは20号をゆく。
交差点『名倉入口』で分岐。
左へ。
道と道標を無理やりアングルにおさめようとしてますが。
シモオブチシタ、と読むのだろうか。
ふたつの下で小渕を挟んだ地名。
境沢橋で相模川を渡る。
ほんと森林と岩清水に恵まれた国ですな。
街道というものは元来そういうものなのだろうけれど、あっちにもこっちにも川があって森林がある。
ありがたし。
その先に分岐。
広めの道に突き当たる。
左を望むと白い境川橋が見える。
んが、そちらではなく、これを鋭角に右へ上っていく。
坂は急でヘアピン状にくねくねと続くから、結構きつい。
ヘアピンを3回ターンすると諏訪関跡。
武田家が領内に24カ所設置した関所のうちのひとつ。
このながいヘアピンを上りきると自動車教習所があった。
こういうところで運転をならうと、坂道発進の達人だろうね。
てか、いまはオートマか。
道中、山は厳しくなっていくばかり。
その斜面に建つ民家にはどこも車がある。
それは当然だろうが、これがまた信じられないような傾斜に駐車してたりするんだな。
輪留めもしてなかったりすると、心配しちゃうよ。ほんとに。
やっとこさ平坦な道へ。
中央道をまたぐ諏訪橋を渡ると『疱瘡神社』が。
名の通りの御利益なのに違いない。
その裏手に塚場の一里塚跡。
こうしてせめて土塁だけでも遺されていると、偲べるというものです。
日本橋から十八里。
境内で涼んでいると通り雨にやられた。
しばし雨宿りして待つ。
雨脚はあまり強くならず、すぐにやんだので再出発。
この日の目的地はすぐそこだ。
上野原宿についたー。
13時半。
ここから約1キロ南下して上野原駅からJRを使って帰宅すると。
おつかれさまでした。
つつぎはまた次回。
☾☀闇生★☽