さて、続行を決意して道にもどる。
環八を過ぎると甲州街道は二股に分かれる。
右が現・甲州街道。
左が旧・甲州街道。
このさき現と旧は合流したり離れたりをしばしば繰り返すことになる。
普段あたしが通勤でつかうのは現・甲州のほうだ。
地図で見ると旧のほうがショートカットにはなっているのだが、車線が少なく、交差点も多そうなので通勤には現を使っていた。
もちろんここでは旧街道をたどるのが目的であるからして。
なので、これよりちょびっとだけ未知の世界に突入と。
現と別れてすぐの路地にどーんと突っ立っているのがこの石碑。
『井之頭弁財天道 道標』
是ヨリ一里半。
井の頭公園内にある弁天さんまでの距離のご案内。
井の頭公園もまた身近かすぎて見落としがちなスポットであるのだなあと再認識。
しかもそこの弁天さんというのがまた由緒あるらしい。
源氏の祖、経基が伝教大師作の弁天像をおさめたのがはじまりなどと言われているのだぞと。
伝教大師っていうのはアレでございましょ? 最澄さんのことでございましょ?
となれば、ご利益をあずかりにか、あるいは物見遊山かはしらないけれど、甲州からはるばる旅をしてきたからにはついでにちょっと寄ってみようか、となる人も少なくなかったであろうと。
こんなでかい石碑をぶったててまで案内していたとなれば、それはそれは結構な人気だったのにちがいないぞと。
よく見れば碑面にはとぐろを巻いた蛇の図案が刻まれている。
奇妙に思ったが、調べるとこれは井の頭の白蛇伝説とかいうのを表しているようで。
そのあたり、案外と下世話な広告センスではないか。
で、訪ねていってみると肝心の弁天さんは秘仏ゆえに年中無休の御開帳ではなかったというから、いけずう。
じらします。
女神は、じらすのです。
しっかし井の頭公園は盲点だったなあ。
こんど日を改めて散策してみよう。
大橋場跡。
なんか古めかしい地蔵や石仏などがならんでいた。
が、あたしの勉強不足でよくわからん。
青面金剛像がもっとも古いらしく元禄のもの。1700年。
給田町。
新一里塚があって内藤新宿より三里、とある。
が、ちょうどこのとき地元のおっさんたちが立ち話しているところに出くわしてしまい、この碑はもともとこことは違うところにあって移設したとかなんとか話しているではないか。
とたんに萎える。
次いってみよう!
焼肉屋さんの看板がド派手に目立つ交差点『仙川三差路』で現・甲州街道に合流。
そこからすぐに昌翁寺。
そして仙川一里塚跡。
どちらも見過ごしてしまった。
いかんいかん。
とりわけ昌翁寺のように通いなれた道にある見慣れた風景というのは、あまりに当然で何の感慨もないのでスルーしてしまいがちだ。
にもかかわらず、ちゃんと見たり訪れたりはしていないのだな。
知ったつもりになっている。
バイクやチャリで通いなれた道を今回はあえて歩くのだ。それでは意味がないではないかっ。
「かっ」と反省。
キューピー。
これも帰宅してから反省した。
てっきりキューピーの工場のみであると思い込んでいたのだ。
ゲートの時計塔のてっぺんにはキューピー人形があって、そいつが時節にあわせて衣装替えをするのは知っていた。
十月はハロウィンとか。十二月はサンタとか。
ところが、いまこれを書きながら調べてみると、ショップもあれば見学もできるじゃないですか。
くそおおお。入れるのか。
ちなみにこの対面(北側)にはつい先年まで栄太郎の工場があった。
蜜豆とか飴で有名な「はーい栄太郎です」の栄太郎。
ここも工場直売をしていたけれど、あまり知られていなかったなあ。
仙川三差路。
ここから本線から少しのあいだ外れる。
旧道は斜め右にわかれ、細い下り坂に入るのだが、その手前のお宅の植え込みに『馬宿川口屋』の石碑がある。
でこの坂が、雨が降ると滝のように水が流れて旅人をこまらせた『滝坂』。
難所ちかくに馬宿という立地条件がまたよろしいですな。
偲ばせます。
偲びましょう。
そしてこの坂がまた風情がよろしいのだ。
旧道らしい旧道で。
文明が圧勝していないのね。
組み敷かれていない。
坂の途中にいかにも古そうな薬師如来があったりしてね。
いいです。この坂は。
などという感慨にひたるまもなく本線にまた合流だ。
金子のイチョウ。
の解説プレート。
街道側からだと見えにくい。
うっそうとした銀杏の大木が一対。
これ雄雌のツガイなのだというから、おどろくよねー。
受精の縁に事欠くことはないのだろうが喧嘩しても別れられなーい、な仲。
寛延元年(1748年)から夫婦でお稲荷さんをまもっておられるとのこと。
金龍寺。
街道に面した斎場が豪華すぎて近づきがたい。
斎場の横の参道をとおって奥にすすむと本堂にでるが、まずは全身金ぴかの阿吽像に迎えられた。
ぴっかぴかだ。
境内には閻魔大王の像もある。
こいつのコラァァァァァッっと睨んだ顔のデフォルメがすごかった。
ここは曹洞宗をうたっている。
となると道元禅師だ。
あたくしの思っていた静謐なる禅のイメージとはまるでかけ離れていた。
建永元年(1206年)創建というから、これまた古いねえ。
街道からのぞいただけでは、そんな歴史あるものだとは想像だにしなかった。
野川を渡る。
この川は春になると河畔に満ちる菜の花でまぶしいほどに華やぐ。
調布警察署の脇道の木陰でひと休み。
警察署をすぎてまた街道は現・旧にわかれる。
分かれてすぐが『国領』。
『布田五ケ宿』と呼ばれた五つの宿場の合宿のひとつ。
それぞれが近すぎるうえにコンパクトなので問屋なんか持ち回り制度でまかなっていたそうな。
というわけで、今回はここまで。
では、気が向けば次回も歩きます。
おつかれ。
☾☀闇生★☽