駒橋~大月。
20号からまたしても分岐。
手元のガイドブックにはその目印が『満北亭』とある。
しかしこれは初刷を2015年とする2017年第二刷版。
今は店が変わったのだ。
分岐ポイントはこんな感じになっておりやした。
『ら~めん銀次』
ここを右に入りまーす。
この旧道は、東西にのびる中央本線に対して南北に架かる跨線橋のたもとをくぐるだけなので、中央本線は渡らない。
『へ』の字を逆にたどる感じ。
ほらまた岩殿山にぐっと近づいた。
大月駅前は、タクシーが並んで客待ちをしていたから、これまでの駅前の様子よりはずっと賑わっている印象。
飲食店も多いし、ビジネスホテルもあれば旅館も何軒かある。
こういうちょっとした路地に旅館のある風情がたまらんです。
日が暮れるころに、また来たいなあ。
ベタに『魚民』とかもあるし。
なんだろう。やっぱ岩殿山とかこのあたりの登山客が目当てなのかな。この観光地化は。
この『へ』の字ストリート。
跨線橋の下で折れて20号に合流するまでが、思っていたより長かった。
その合流地点が『大月二丁目交差点』。
そこからルートは市役所をすぎて『職安の標識』で北へ分岐するのだが、素通りして富士急大月線を跨いで『大月橋東詰』交差点へと進む。
ちっちゃな中洲のある交差点を直進で横断したそこに石の道標、寄り道の目的はこれだ。
とあるのよ。
つまりこのT字路はかつては十字路で、いまはないもう一路が旧道なのね。
おそらくこのすぐ北側を走る中央本線が敷かれて断絶したのだと思う。
人が通らなくなれば、道の命などあっけない。
今は本線とこの道標のあいだには人家が建ちふさがっている。
なので、道標を確かめたら道を戻る。
さきほどの職安の標識を北へ。
この分岐の南側に本陣跡があったらしい。
標識の下に、この道中のいたるところで見かけてきた明治帝の足跡をのこす石碑がある。
渡ってすぐの交差点を左折。
中学校を右手に見ながら坂をおりていく。
ユニフォーム姿の学生とその保護者らしき一団が、フェンスにかじりついてこちらを不思議そうに見ていた。
この中学校を過ぎたあたりに、さきほど絶えた古道が通じていたという。
新大月橋で桂川を渡る。
釣り人の姿がいくつか見えました。
鮎ですかね。
解禁日とか知らないですけど。
『お食事処ひろさと』で20号と合流。
すぐに駐車場を広くとったファミマが見えてくる。
その対面が『下花咲の一里塚』。
日本橋から二十四里目。
復元された南の塚がこれで、画面右には一里塚のお決まりエノキが見え。
傍にはおなじみの廿三夜塔、馬頭観音などの石碑がならぶ。
つまりかつて北の塚があったあたりがファミマということね。
この時点で午前9時。
トイレをお借りし、イートインで白くまを堪能……。
つづきます。
☾☀闇生★☽