以下、不謹慎をのたまう。
冨樫義博の漫画HUNTER×HUNTER。
その蟻編への批判でよく目にするのにこれがある。
人間を捕食する外来生物討伐のために使われた科学兵器『貧者の薔薇(ミニチュアローズ)』。
あきらかに小型核を暗喩しているこれを、人類最強のハンターとされるネテロ会長はどうして最初から使わなかったのか。
死闘につぐ死闘を繰り広げる能力バトルのあげくの果てが、
「ポチッとな」
おいおい核かい、と。
バトルじゃないんかい、と。
それは、なにゆえ黄門さまは初めから印篭を出さなかったのか、みたいなもので。
それを言っちゃあおしめえよ、とばかりにあたしゃこれまであまり考えずにいた。
んが、
この度の人質事件を思うに、否が応にも連想されたのだな。
たとえぱ人質をとった立てこもり事件への対応というものは、とかく強行な実力行使が世界常識だとされますわな。ゴネドクはさせぬとばかりに有無も言わさず。
それにくらべて日本はいつだって及び腰で、云々。
時間がかかって、云々。
こういう事件がおこるたびに誰かがどっかで必ず言います。
でその是非はともかくとして、
そんな日本人らしさの表れでもあるのではないだろうか。ネテロの決断は。
討伐命令を承諾はしたが、最悪の事態を考えて薔薇の使用を決断し、なおかつ実質的な人質状態にある人々(数万人? 数十万人?)の生命を考えてぎりぎりまでその使用を拒んだと。
こらえたと。
自身の命と引き換えに、使用を可能な限り留保したと。
それを遠隔ではなく特攻としたところに、そのぎりぎりの極限があらわれているのではと。
むろん殺すも救うも命をかけてこそという武道家としての矜持もあるでしょう。してそれは命への礼節でもありましょう。
であってこそはじめて、それを戦士のやさしさともいえるのでしょう。
ネテロのそのへんの心情的な経緯は作中では省かれていたのだが、そう考えるとえらく腑に落ちませんか。
たかが能力バトル漫画が、
たちまち読者のリアルへのたたき台として拮抗してきませんか。
☾☀闇生☆☽