傷口から絆創膏をはがすとき、
その痛みは役割を終えた絆創膏がわにもあるんじゃねえかって話で。
だからなんだって言われりゃ、それまでだけど。
☾☀闇生☆☽
追記。
ここで何度か触れた行きつけのコンビニ。
その愛しき美人女子店員軍団のなかでもっとも美形から遠く、にもかかわらずもっともムードメーカーの女子からレジで声をかけられた。
まえによそであたしを見かけたらしく。
声をかけようかまよったとのこと。
ううううむ。
最低でもあたしがあと十五歳ほど若かったならば、勘違いもできたであろう。
柄にもなく、ときめいちゃったであろう。
けど、さすがに身の丈を知ってしまったおっさんだ。
素敵を演じるモチベーションからも、
気軽に女子をお茶にさそえるレベルの収入からも遠のいてしまった。
といってなんらスキルも、人生経験で積み重ねておくべき引き出しも無い。
面白い話しなんぞ、ひとつも無い。
かけらも無い。
においすら無い。
というかもはや「みんなあたしから逃げて」の気分ですらある。
残念。
あのさ。
○歳にもなって、という接頭語付きでの批判をさ、ヒエラルキー的な意味合いでしないでくれまいか。
すまぬ。
漫然と歳を重ねていれば年収も社会的地位もあがっていて当たり前という時代はとっくに終わってるのでね。
すまぬ。
むろんそれが理想ではあるし、努力や自己練磨で獲得すべきものだろうけれど、オートシステムではないのね。
すまぬ。
その論法でいえば、年寄りはみんな成功者じゃねえか。
それがゆえに、思うのだ。
てか、思おう。
思っていこう。
現代で「いわゆる」歳相応のステータスをゲットしてるひとたちは、えらいのだと。
すごいのだと。
もしくはまんまと出し抜いたのだと。
駄目なおっさんを腐して溜飲をさげるというスタイルの依存をやめて、デキルおっさんを称賛しておいてくれまいか。
素敵とはそういうこった。
目クソが鼻クソを嗤うその構造こそが、海や液晶の向こうの目クソたちのネタになっていることでしょう。
だからすまん。
たのむから俺以外はみんな素敵でいてくれ。
という自意識の檻に今日も棲んでいます。