年末の最終週は仕事がもらえなかった。
そのまま6日ぐらいまではからっからに干されるのだろうと、高をくくっていた。
んが、
先輩のご厚意にあずかり、おすそわけをいただくことになった次第なのであーる。
ありがたし。
元日から仕事があるのだぜ。
手が足んない、とのことで声をかけてくだすったのだが、他にも隊員は山ほどいるわけで。
返す返すも、ありがたし、と。
少なくとも三が日は、その現場をまかされることになる。
とまあ、
あたしゃしんとした年明けを迎えているのであるが。
お義理丸出しのあけおめメールをひとつ、いただいた。
やっつけさせて、すまぬと。
&ありがたし、と。
ほんとはあたしからはフェードアウトしたいだろうに、と読みかえし読みかえし苦笑す。
することもなく、早めに酒を喰らって眠りについていたところを、その受信で起こされての苦笑なり。
零時前。
眼が冴えてしまった。
今年もまた近所の神社へ。
あたくし闇生、生来の混雑嫌いである。
そのため、初詣は毎年明け方にすますことにしている。
この神社の場合、零時前後は地元の有志とおまわりさんが、なんだかんだと張り切って正月テンションを演出しているために混雑していることだろう。と決めつけていた。
おっさんだもの、そこはひとつ決めつけるのであーる。
今回ははじめてその零時に合わせて詣でてみたのであるが、はたして賽銭箱の前には長蛇の列が。
しかし、おごそかに、かつ和やかに賑わっているではないの。
めでたいとは、こういう風情をいふのだらう。
奇声と爆音と哄笑、爆笑の渦という過度なものとはちがう、安堵感としてのハッピー。
チャンチキと鳴りものが打たれ(それもPAで電気的に処理されることなく、生音でなのである!!)、獅子舞がおどり、福男というのだろうか恵比寿さまのような福々しい面をつけたおじさんが二人、おもしろおかしく踊っている。
テレビの過度的で瞬間的なギャグ芸にすっかり毒されてしまった感受性にとっては、正直なところ面白くもおかしくもないのであるが、正月の風物詩としてこれはこれで不可欠ではないのか。
ならばこの面白くない面白おじさんを白けさせちゃなるまいと。
ハニワのような笑みをたたえて観賞す。
して、あの役を買って出たおっさんの勇気に、心ひそかに脱帽す。
あれはあれで難しいと思ふ。
なにがってその所作のバリエーションというか、引き出しが、洋物の「ダンス」からの引用では雰囲気ぶちこわしなのであーる。
ウケをねらってEXILEとか、ムーンウォークとかやったらペケでしょ?
そんな心情を慮ってか、参拝の順番を待つ列から、獅子舞や福男へご祝儀を握らせる人の姿がちらり、ほらりと。
すると和装の女子がその人へ頭を下げ、御礼の札かなにかをお返ししていた。
自然にほころんだその女子の笑顔に、ありがたし。
二礼二拍手一礼にて拝殿をすます。
後続に場所をゆずって列から脱出すると、
「こっちこっち」
と、ぶしつけに手招きされるではないの。
知らないおっさんである。
このおっさんもこの初詣イベントに協力しておられる方らしく、参拝を済ませたひとに縁起のいい太鼓をたたかせるよう誘導を任されているらしかった。
先にならんだひとにならって三発「どんどんどん」とぶっ放した闇生。
後続の女子にその黒光りしたぶっといバチをリレーすると。
「ありがとう」
ため口でかえされるのであった。
社務所のまえにてお神酒を振る舞われ、普段そこかしこの小売店で接している強張った営業スマイルとはかけ離れた自然な笑顔にてまたしても応対されることに。
あれですな、巫女の装束が余分なものを取り除いてくれているのですな。
これもまた制服の魔術であって。
その中身との関係性において成り立っているのですな。
なので制服それ自体に執着すべきではないぞと。
して、いつものように『交通安全』のお守りを求めてから、夜道を歩いて帰りました、とさ。
気づけばニヒル牛2は先日をもって閉店なのであった。
結局、あの愛すべき空間に参加することがかなわなかったという不甲斐なさ。
うううううううむ。
無念。
飯食って、そろそろ出動す。
☾☀闇生☆☽