松尾スズキの代表作に『キレイ』という芝居がある。
設定、筋書きなどここでは省くが、こんな印象的なシーンがあって。
主人公はケガレという女。
その少女時代と、大人になった現在の彼女が、同じ舞台で同時に進行するという演劇ならではのくだり。
少女ケガレは未来の自分を心配する。
きっと膝抱えて、また落ち込んでたりすんのかな、と。
んで、
その見えない未来で膝を抱えている自分を、「よしよし」と慰めてやるのだな。少女ケガレは。
案の定、未来のケガレはにっちもさっちもいかなくなって、そこで膝を抱えているという。
過去が未来を励まして。
それとは逆の構図が、映画にありまして。
『ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ』
古い映画ですが、以下ネタバレです。
天才チェリストとして歴史に名を刻んだ実在の人、ジャクリーヌ。
彼女の生涯を、演奏家としては凡才であった姉との確執、そして愛憎を中心に描いた傑作である。
彼女の代表的な演奏は、なんといってもエルガーのチェロ協奏曲だそうで。
それはもう、このクラシック音痴の闇生でさえ知っているほどの、名演なのだ。
ぶっとぶよ。
喩えが変だが、ジミヘンかと。
今聴いても、誰もがそんな衝撃をくらうはずである。
彼女はそれほどの才能の持ち主だったのだが、惜しいかな短命で。
よりによって筋肉が次第に動かなくなっていく不治の病にかかってしまうのである。
演奏家にとってこれほどの不幸はない。
どころか、最終的には命も奪われるというから、悲劇である。
物語は姉妹の少女時代から始まる。
そして、実話であるからして、決してハッピーエンドではないことは明らか。
ところが、この悲劇には『キレイ』の逆の構図が用意されてあって、それが悲劇の中に一筋の光明を生んでいるのである。
すなわち不治の病に苦しみ、もがき、絶望し、孤独のうちに死ぬ運命の彼女が、少女時代の自分に出会うのだ。
そして言う、
「何も心配しなくていいのよ」
未来が過去を励まし、肯定する。
誰がみても悲劇だというのに。
その苦しみを経てもなお、君は笑ってそう言うか。
自分だったら、言えるのか。過去の自分に。
正直、今の段階で、闇生にその自信はない。
まったく無い。
微塵も無い。
んで、
だからこそ、このシーンにやられちまったのである。
やられちまったおっさんなのである。あたしなんかは。
あなたは過去の自分に笑って言えますか。
「ノープロブレム」
と。
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☾☀闇生☆☽