余白。

 通称『髭男』の『Pretender』を知ったのは、Pentatonixのアカペラでのカヴァーの方が先だった。
 来日した際のパフォーマンスが初見で、そのあとスタジオ録音版。
 それからオリジナルPVについてのいくつかの外国人リアクション動画。
 オリジナルにたどり着いたのはそのあとだ。


 ええ曲や。
 とおっさんのあたしでも思う。
 とりわけ、外国人のリアクション動画のなかには音楽に詳しい人によるものもあって、リズムチェンジの妙や別の曲『Stand by you(Acoustic ver.)』の冒頭のピアノがさらりと奏でるブルーノートにも言及していて、単なる「感動した」Onlyでないところが面白い。

 
 でね、
 思ったのだ。
 そんな外国人が『Pretender』の歌詞に触れているリアクション動画があって、
 それは対訳された英語字幕付きのPVについてのものなのだが、
 やはり映像に歌詞の解釈が引き寄せられてしまっているのだな。


 あたしにとってPentatonix版が初めてであった幸運は、歌詞の解釈への余白が与えられていることだった。
 ライヴ・パフォーマンスなので5人のメンバーが横並びに立って歌っているだけであるから、それはそうなのだが。
 オリジナルのPVは、男女のドラマ・シーンが挿入されるがゆえに、どうしても歌詞の内容を若い男女の恋愛として解釈「させられて」しまう。
 リアクション動画の外国人も、結ばれることのない恋として解釈して「恋愛感情をこらえず、きちんと告白した方がよい」と結論づけた。
 あのPVなら、なるほどそう解釈するか、と驚く。
 歌詞には君の未来に自分が携わることができない運命とは何なのか、説明がない。
 というか、説明をしない。
 それは聴く人それぞれの状況や環境などにゆだねようとするがゆえに設けられた、余白だ。


 もしかしたら歌詞の『僕』は、不治の病で余命いくばくもない運命にあるかもしれない。 
 あるいは誕生を見ることのできない我が子への愛を(離婚だとかの寿命の問題で)、成就されぬ愛であるがゆえに『恋(ロマンス)』と見立てた父の歌なのかもしれない。
 LGBT+Qの壁に(たとえば『僕』はゲイだが『綺麗な君』はそうではない。もしくは逆に『僕』は女で、等)阻まれた愛かもしれない。
 戦地へと赴く兵士が老いた飼い犬にむけた別れの気持ちかもしれない。
 



 うん、そりゃ苦しいよな。







 音と映像によってあらゆることが説明できてしまう時代だからこそ、もっと、余白をと願う。






Pentatonix - Pretender (Pentatonix x LINE MUSIC)








 追記。
 犬と猫の仲良し動画にこの曲をあわせて編集したら、せつなそうだ。
 あるいはブレイクして手の届かない存在へと成長していくアイドルに向ける、彼女が売れない頃から支持していたファンの想いとして、とか。


 闇生