ほんと減ったよな、便所の落書き。
これ、実はX(旧Twitter)の影響ではないかとあたしゃ睨んでいるのだけれど。
女子トイレの壁事情については知る由もないが、かつての公衆トイレの個室の壁といえばおびただしいまでの落書きに覆われていた。
文章とも言葉とも呼びがたい猥褻な単語の羅列。
イラストとも漫画とも認めがたい性器だけの図。
誰かしらの個人情報らしき番号と悪口。
不平不満。
中傷。
いわゆる電波系の与太話とデマ、陰謀話等々。
密室において人はこんなにも愚かになれるものかと、うっかりすれば便意の出ばなをくじかれかねない。
それくらい便所の壁には負の光景が繰り広げられていたのである。
して、それらを消す管理者と上書きをつづける犯人との戦いは尽きることがなく。
おそらく世界から戦争と飢餓が絶滅したとて便所の落書きだけは不滅であろう。
とそう確信させるあの不毛。
熱意。
不屈。
というか執着。
というか承認欲求はいったいどこへ消え去ったのか。
不特定多数の人の目に付き、それでいて犯行は密室によって匿われている。そんなせっかくの『好条件』においてひねり出した言葉がなけなしの、
チ〇ポ
ま〇こ
う〇こ
なのである。
そこには風刺もない。
深刻な告発もない。
ましてや思わず膝を打つようなジョークもウィットもない。
『白川の清きに魚も住みかねて もとの濁りの田沼恋しき』もなければ歌麿なみの春画もバンクシーも現れなかったのである。
ついに便所の壁から社会現象は起きなかった。
壁は何も生まなかった。
それだけ平和だったということなのだ。なんせ、
チ〇ポ
ま〇こ
う〇こ
なのだ。
なんなんだ、おまえら。
そしてどこへやったんだ、おまえらの闇。
それこそ便所の落書きと揶揄された2ちゃんねるから個人ブログの流行へ、そして文字通り日々のつぶやきからスタートしたTwitterに至るSNSの流れのなかで、それらどす黒い情熱は巷の公衆便所の仄暗い個室のなかから(それこそ海底の汚泥からネットの洋上へと)掬いあげられていったのではあるまいかと思う。深海の闇から荒波の光のなかに。
そこでは、う〇こ、チ〇ポ、バカ、アホといった単語の羅列だけでは誰の気も引けない。
それなりに文章として整え、悪口にも罵倒にも知性が、つまりはボキャブラリーとソースなければ馬鹿にされると思い至って、更にはブロックや凍結や通報の憂き目を傍に見て、あるときは当事者となりながら『教育』されていったのではないのか。
これもまた終わりなき不毛ではあるのだけれど。
そもそも食事中ですらスマホを手放さないご時世だもの。
トイレの壁に落書きする暇なんぞ、現代人にはあるまいて。
たとえ『教育』から落ちこぼれたとて、きっと今も空(スマホ)を見ている。
闇をかかえて、
海の底から。
☾★闇生☀☽