で、
終戦後、会長は何をしていたか。
エピソードのなかに闇米でパクられたという話がある。
これはおそらく時系列的に戦後ではないのかと。
利根川のどこかの橋のたもとで検問がされていて、トラックの荷台を調べられて御用となった。
お灸をすえられ留置所で何日が過ごした。
まもなく釈放されたが行く当てもお金もない、という事態。
記憶をさかのぼって、知人をたよる。
といっても友人とも呼べない、居所も知らない関係で。
唯一、築地の市場で働いているということだけは覚えていた。
それで築地の門の前で二日間だか三日間だか立ち続け、その知人が通るのを待った。
しかし、時間が経っているのでもうそこで働いてはいないかもしれず。
そういう不安のなか断ち続け、所持金がつきた日にその知人を発見。
「おれおれ」
会長は自分の顔を指さして彼に縋りついた。
事情を話すと知人は「来い」と快諾。まずは飯を食わせてくれて。
そのまま仕事もくれた。
漁船に乗せてもらい漁も手伝った。
しかし、報酬は飯にありつけるというだけのことで。
そういう日々から這い上がろうという思いが次第に芽生える。
市場のなかには、魚の運搬に使った箱(発泡スチロール? 木製?)があちこちに放置されていたらしく。
ある日それを「もったいない」と思った会長は、その放置されている使用済みの箱を空いた時間をつかって回収。
そして洗って、こんどは新たに荷づくりするところへ安価で売ることを思いつく。
対した額にはならないが、それでも収入には違いない。
小銭をためていく。
そうしているうちに、市場に出入りする料亭の人間と懇意になって。
板前の経験があるということで、
「じゃうちにこいよ」
と採用される。
この料亭のエピソードが、さきの召集前の板前経験と重なっているため、時系列があやしい。
けれど、おそらくこういう流れだと思う。
こうして人の縁で、
またその縁の運を逃さず自力で手にしていくところに、感心するのよ。あたしゃ。
人に好かれるというのは、武器だ。
というのも、
その料亭時代に、常連客から「店をもたせてやるから、場所探して来い」と持ち掛けられた。
会長は休日にあちこち出歩いて、都内(都下? 郊外?)のとある工場に目を付ける。
向上には大勢の工員が通勤しているのだが、当時はコンビニもない時代で。
しかも、周囲に飲食店がない。
昼食は工場内の食堂か手弁当で済ませているようで。
それも飽きるだろうと。
ラーメン屋を出店。
工場の稼働日にあわせて営業を開始。
それがまたたくまに大繁盛する。
最初は、こだわりを持って仕込みから時間をかけて作っていたが、それでは需要に間に合わない。
ましてや工員たちは若く食欲旺盛で、そんな職人気質のこだわりよりも安さと量だろうと。
業務用インスタントスープと自家製のスープを混ぜて、しかも絶対にバレない配合率を探求して完成。
このあたりが、逞しさだとあたしゃ思う。
芸術家であるよりも商売人であって。
稼ぐ、ということにハングリーだ。
麺も、
一見さんお断りのどこだかという会社に取り次いだ。
これも確かコネを伝ってのことだったと思う。
毎日何食以上じゃないと注文を受けつけないというちょっとしたブランドだったらしく、大見得張をってノルマ数より大幅に仕入れることにした。
案の定、それも功を奏して大成功。
バイトを雇って出前も受け付けるようになる。
仕込みから閉店まで何年にもわたって厨房に立ち続けたために、ほら。
とO脚に変形した自分の脚を見せられたものである。
つづく、かもしれない。