ある種の挑発、扇動としてバンド名に非・倫理性をかかげた人が、その不・倫理性を糾弾されて頭を下げている。
あたしゃその音楽をちゃんと聞いたことはないけれど、仮にも道徳やルールや秩序やらといった倫理性に、誰もが大なり小なり抱いているであろう「あらがい」を慰撫してやるのがロックなるものの効能でもあったわけで。
演者は、それをふまえて日常的にふるまいもするわけで。
ならば、このたびの騒ぎは逆ギレよろしく世間さまに中指を立てる選択肢もあったのではないのかと。
これが往時のストーンズのメンバーだったなら。
ツェッペリンなら、ガンズならどう振る舞ったのか。演じたのか。
と仮想して比較せざるをえないところがまた、オーベーか。
でもって、そーゆーところには中指立てられないところが、いじましきニッポンジンなんでしょーな。
そーゆーところ、とは大衆であり、輿論ならざる世論であり、多勢側。
ロックなんてマイノリティに寄り添った振りしていても、所詮はそんな大衆のうつろぎ安さに支えられている。
煽ってこそロックなら、煽られてこそ大衆だろうに。
有体に言っちまえばショーバイだもの頭もさげるさ。
そこはその辺の政治家さんたちと同じだわな。
あたしゃおっさんですから、
若いころならその手の扇動カルチャーに煽られもしましたでしょーが。
うん。
ね。
といって、若さ側に寄り添って媚び売って、物分かりのいい大人ぶるのもあほくさいし、かっこわるい。
ヒールでいいんだよ。大人は。
そーゆー役割。
それにちゃんと抗ってこその、若さだ。
この「ちゃんと」が難しいんだけどね。
たとえば、成人式という大人たちが用意してくれた箱庭の中で騒ぐのってのは、ベビーベットのゲージのなかで夜泣きしているようなもので。
その延長で作られた音楽を聴かされても、かなわない。
それはさておいて、
ロックは、ちゃんとやってください。
☾☀闇生☆☽